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  • 2007年4月30日(月) - ぼくらのリアルタイム更新 - 

    WHF神戸です

    10:40@神戸国際展示場



    開場前。なんか中古トイ側の島郡配置。搬入口が空いてるので現在日の光と白熱灯のミックス光になってます。あ、なんかα100と200mm望遠で誰か写真撮ってった。

    12:40@神戸国際展示場



    まだ半分くらい残ってます…。で、これはHit君の持って来た暇つぶしアイテム。レボリューション!

    16:15@神戸国際展示場



    撤収。きらりん。

    17:30@メイド喫茶

    19:40@中華街



    桃まん。ももマン。ももマン。ももマン…。
    ほうらだんだん卑猥な物に見えてきた。

    ちゅうわけでWHF神戸お疲れ様でした。しかし5日後にWHF有明ですね。ちなみにWHF有明の荷物は明日必着です。つまり、両方参加する人は神戸の会場から直接送る以外にハナから方法はなかったんですな。

    今回は良い写真がいっぱい撮れました。WHF神戸は良い写真が撮れやすいと思う。何でかというと、大手ディーラーがコスプレスペースに向かって配置されるから。他の会場だと、各島でも壁に向かって配置されるので、前方からの光が少なくて、光が不自然になってしまうんだよね。

    でも今回そう言うブースでもバッチリだ。いわたさん新開発のディフューザーがあるからだ。余ったスチレンボードで作ったもので、レンズを持つ左手でレンズと一緒につかめる構造になっております。

    あくまでストロボ無しの高感度+定常光で撮影するけど、前方からわずかな光を照射する事で、綺麗なお顔が作れますよ。



    使用前と使用後。どっちもISO1600 F4.5 1/100s。前方からの光が少ない場所だと、目が前髪で影になり、代わりに机からの反射光で顔が下からあおられるような不自然な光になりやすい。前髪によるギザギザのカゲも気になる場合もある。これをストロボで消してやる事で、自然な顔つきになる。

    いいでしょ。ストロボ使ってるようには見えないでしょ。ストロボ光を照明と同じ色温度にしている所がミソ。色セロハンを使って調整してます。よって、会場によってストロボ光も換える必要があるよ。

    ちなみに神戸国際展示場は前にも書いたけど、色温度は白熱灯その物です。なのでデジカメもカラーバランスを白熱灯に合わせるとバッチリですよ。もちろんマニュアルで設定してもいいけど。フィルムなら白熱灯の光をデイライトフィルムで撮る用のフィルターを使う事でバッチリです。デジカメでも計ってみたけど、この種のフィルターで完璧でした。

    あと、今回露出は全部マニュアル。デジカメなら撮影後にヒストグラムを見られるのでそんなに難しくない。でも大体上記の露出でほぼOKだよ。背景の色にカメラが騙されないようにするのには、マニュアルしかないっ。

    ここ1ヶ月くらい考えてた自分理論が立証された感じで、かなり嬉しい。

    今回の反省:50mmのレンズで頑張ってたらフィギュアに近づきすぎてストラップをひな壇の下にあるフィギュアと接触させてしまう事故発生。申し訳ないッス。50mmは危険だわ。85mmF1.8買おう…。

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    > 中華さんゲット〜 子ずれ狼(?)の絹嶋でした。

    子連れいたっけ?なんせお買いあげありがとうございますー。

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    2007年4月29日(日) - らくがきの歴史-2003 - 

    突然ですが朝から複製しました。

    …この季節は換気全開で気持ちいいから複製もし易いね。

    いやね。明日WHF神戸で、その分は既に複製して送ってあるんだけど、5/5のWHF有明の分の複製をしたのだ。WHF神戸終わってからやろうと思ったんだけど今日やった。なんでかって言うと、よくよく考えたら、明日WHF神戸が終わった後に荷物を家に送って、それをまた東京に送るのはなんかメンドクサイと思ったから。明日神戸の会場から有明に直接送りたい。なので明日神戸の会場に有明の分の商品を手で持ってく。

    というわけで、明日は2会場分の在庫を持ってる事になるので、なんと45個も会場持ち込みする事になる(史上最多)。絶対完売しないな。まぁ20個くらい売れたところで完売にするけど、どうしても欲しい場合は「ホントはあるんだろ?あぁん?」と言えば多分出てきます。

    で今回の複製で、プレゼント用のセーラーさんのフリルパーツを余りキャストで抜いたんだけど…。見事に気泡入って失敗。あちゃー、次の複製の時にまた挑戦します。これはセーラーさんの発送が出来るのはかなり先になっちゃうかも。

    ちゅうわけで明日会える方はヨロシク。ちなみに5/5の有明のお手伝いさんマジ募集中です。

    2003年

    この頃から日記を付け始めているので詳細は読めば分かるようになるね。

    ときメモに続き、アルジェントソーマも版権取得が結構厳しかった。なので私は比較的版権取得の易しいエロゲーキャラを作ろうと思い始める。私はときメモ好きであった物の、エロゲーはあまりやる方ではなかった。オールクリア出来た18禁ゲームは「AIR」と「ONE〜輝く季節へ〜」だけ。まぁなんせ長文読むのにいちいちボタンを押さなきゃ行けないというシステムが体に合ってないのだよ。

    と言うわけで、AIRの神尾観鈴を選んだ。人気のあるキャラで、すでに作っている人も多かった事から、とにかく自分なりの観鈴を作ろうと言う事で、自分らしさを付け加えるために頑張った。

    出来の良いフィギュアというのはリアルであることと信じていた当時の私は、とにかくディテールを詰め込む事を考え始めた。コスプレイヤーの友達が出来ていたので、その人に頼んでAIRの制服を着て貰って写真を撮りまくり、衣服のシワがどのように付くかとか、布の縫い合わせはどうなっているとか、ある意味やりすぎなくらいにリアリティを求めた。

    当時持てる力を全てつぎ込んで作ったこの作品だったが、結果はこれまでで最も最低となった。版権取得は簡単だったので地元のWHF神戸にもようやく出店出来たのだけど、そこでも全く売れなかった。やり残した事があると思うなら納得も出来よう。しかし本気出して挑んだ物を認めてもらえなかったときは、本当に凹むよ。

    結果、自分の中で方向性を変えなければと思う事になる。しかしこれと言って好きなキャラもなかったので、その次のワンフェスは新作が出来ず、再販のみで終わる事になった。行き詰まった。

    ところで、当時の私はバイクで毎週のように三宮へ出かけていた。三宮にとらのあなという同人誌ショップが出来ていて、コミケに行かない私でも同人誌という物に触れる機会が多くなってた。

    そこで偶然「Material Girl」という同人誌を手に取る。この頃メイド喫茶やゴスロリという物が流行始め、私もフリル系衣装が好きになっていた事がこれを手に取るきっかけだったと思う。そこで中身の縮小コピーをはらりとめくるとそこにかわいいゴスロリ少女が載ってた。これはと思った。これまでいろんなフィギュアを作ってきた経験がこう思わせる。これはフィギュア化したらかなりカワイイと。

    ワンフェスでは同人誌の作家さんの作ったキャラクターの立体化が増えてきた物の、これが本当に売れるのかという自信はなかった。でも、絶対作ったらかわいいフィギュアになるという自信はあった。無名のキャラを出品して見る物をハッと思わせる事は出来るんじゃないかと思った。そう思うとやる気が湧いてきた。

    こうして出来たのがセーラーさん。その同人誌の作者のniniさんに許可を貰うためにメールしたのだけど、niniさんも人形好きという事でとても喜んでくれて、これまた原型師冥利に尽きる出来事だった。描かれなかった部分とか、パッケージのイラストも描いて頂いたりして、自分にはない才能を持った作家さんとの交流がとても刺激的だったのを覚えている。

    結果としてかなり自分でも満足出来る物が出来た。今までの自分の作風とはかなり違う物となったけど、これこそが理想のフィギュア像なのではないかと思ったくらいだった。自分の作ったフィギュアを見て目から鱗が落ちた。

    …ワンフェスに出すのは翌年の事となる。

    ワンフェスではアルピーヌV6Tさんが新たなディーラー「グランド・ゼロ」を立ち上げた。メンバーはらくがき塗料箱の常連さん達ばかりで、ワンフェス当日は開始からその後のオフ会まで行動を共にする姉妹ディーラーとなる。みずさん、はぁ〜さん、yohizさんがこのメンバーになっていた。ちなみに後にディーラー名は「Team30」に変わる。他にもらくがき塗料箱の常連さん達が皆原型師になっていく。新しい時代へと移り変わっていくのを感じた。

    で、ワンフェス前日には相変わらずアルピーヌV6Tさんの家に泊まっていたけど、なんかこの頃から、ここではワンフェス当日に間に合ってない人をみんなで救済するというイベントが毎回(笑)、行われるようになる。

    それ以外にも、GWに東京に行ったとき、たまのぼるさんの原型が版権申請に間に合わず、アルピーヌV6Tさんの家で私が原型をでっち上げるなんて事もしたなぁ。本人仕事行ってるのに人の家でひたすら原型製作。だんだん飽きてきて人の部屋の鉄道模型を引っ張り出して遊び始めたりしてね。人の部屋、私物化。

    さて会社生活はというと。この年は仕事が特に忙しくてかなり翻弄された。冬のワンフェスでは過去に作った白雪美帆の改造版を出品したのだけど、時間が無くて塗装をまたKENCHANさんに頼んだ。で、それを受け取ったのがワンフェス当日。東京に向かう新幹線の途中。京都駅でドア越しにフィギュアを受け取るという、かなりギリギリな事もやった。

    また、夏のワンフェスでまた大変な事が。なんとワンフェス当日の晩から徹夜の仕事が入った。場所は四国の高松。なのでワンフェスを早く切り上げ、そのまま羽田へ行き、高松空港へ。そのまま徹夜で翌朝まで仕事…という凄いスケジュールに。あれは、辛かったな…。

    スペシャルサンクスな人:niniさん

    [日記拍手]
    > あの頃はすまん・・・恒例の集合写真殆どすっぽかして(笑)

    そう言うヤツは集合写真欠席の刑に処されるだけなので気にするな。

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    2007年4月28日(土) - らくがきの歴史-2002 - 

    今日から9連休です!

    …ワンフェスディーラーの皆さんは版権申請前の追い込みですね。

    オリジナルだと楽で良いよ。連休はWHF三昧だ。今日は昼まで寝てた。

    2002年

    サイトもかなり落ち着いてきて、だんだん出来事が少なくなってきます。

    複数原型師による合同ディーラー参加は、参加費を安く抑えられるというメリットがあるけど、時にして人を傷つけることにもなりえる。ディーラー参加はいつも満足いく結果が得られるとは限らない。時には思ったように売れず、落ち込むこともある。それが1人であれば冷静に受け止めることが出来るのかもしれないけど、合同参加で自分だけが売れなかったとしたらどうでしょう。他の人は即完売となって喜んでいるところに、素直に「おめでとう」と言えるでしょうか。なんと言うのかな、友達と一緒に合コンに行ったのに、自分だけ1人で帰るような敗北感を感じることになるよ。

    また、同じアマチュア原型師として集まっているメンバーも、実力もバラバラならガレキに対する姿勢も違う。自分はそれまで、同じフィギュア好きの人間なのだから、自分と同じように造形に取り組んでいると信じて疑わなかったが、いろいろと意見をぶつけ合ううちに、どうやらそうでは無いらしいと気付いた。でも趣味にはいろんな取り組み方があるし、何が正しいと言うものは無いのだ。

    自分はディーラーらくがき塗料箱元締めとして少し頑張り過ぎたかもしれない。余計なことを言い過ぎたのかもしれなかった。…敢えて具体的に書かないようにしたけど、この年、メンバーの1人が抜けた。でも喧嘩別れじゃないよ。すぐに仲直りして、その後もプライベートで遊んだりしたこともあったくらいだから。むしろ一度ぶつかったからこそ、今は誤解がないと言った方が良いかも。

    この出来事は人として自分を成長させたと思う。実社会においても、自分と違う人生観を持つ人でも受け入れることが出来るくらい器を大きく出来たんじゃないかな。このサイトをやっていて良かったと思うよ。

    さて、去る人あれば来る人あり。この年はたまのぼるさんがディーラーメンバーに加わった。たまのぼるさんは本職はマンガ家(エロい方の)で、今までにないキャラクターの持ち主だったので私も色々新鮮でした。エロマンガ家だったけど、心は純粋な方でしたね。私も影響受けてギャラクシーエンジェルにハマったりしてたなぁ。でも結局この年は版権が降りなかったりでたまのぼるさんの作品は出せなかったのだけどね。デビューは来年になってから。

    さて、相変わらず東京に行くたびにアルピーヌV6Tさんとこに当然のように泊まり込むんで遊んでた私。するといつもはぁ〜さんも来られていた。はぁ〜さんは動画サイトを持ってて、そこでアルジェントソーマってアニメのハティというキャラにハァハァしてたのだけど、私もその影響でハティたんハァハァという事で、ハティたんをフルスクラッチする事に。この時から、徐々にときメモ関係は自分の中心でなくなっていく。

    アルジェントソーマはサンライズ版権と言うことで、C3にも出品した。しかし、同時にVictorの版権でもあった為か、何故か版権降りず。同時出品予定だった、ひろみかんさんのエルピー・プルだけが販売されることに。ちなみにこれは凄い人気だった(エロかったしね)。

    サイトの方はもはや私の製作記録くらいしか更新するネタが無くなった。けど製作記録はフィギュアの製作が進まないとネタが出来ないし、社会人の私はそんなに頻繁に製作が進むわけではなく更新は鈍くなっていった。しかしこの頃から世間ではブログが流行始めたことから、私も小さい日記を始めた。それがこの日記。当時は「らくがき小日記」というタイトルだった。CGIプログラミングも得意だった事もあり、システムはもちろん自作。当時はコメント送信も出来なかったけど、これも徐々にパワーアップしていくことになる。

    始めた当時はあくまでフィギュア製作の参考になる情報をメモ書きのように書き連ねていくというのが趣旨だったのだけど、そのうちタダの日記になっていくのであった。日記というからには毎日何かを書かなきゃ行けないわけで、大変だと思いつつももう5年続いている。正直、自分でもビックリしてるよ。よくも毎日書くネタ作ったよね。でもそのおかげで、日記を初めてからは毎日書くネタを探したり作ったりするようになって、自分の行動が積極的になったと思うよ。

    ちなみに一応ポリシーもある。それは「会社の愚痴を書かないこと」それと「自分の女性関係は書かないこと」である。

    前者は会社に限らずだが、言いたい不満があったとしても、否定的な意見というのは読んでて面白くないし、己の器の小ささを露呈する事になる。それに楽しい事だけを書いていけば、後になってそれを思い出して嬉しくなる事も出来る。嫌な思い出は書かないので忘れてしまう。そうすると、自分の過去は楽しい物だけになっていくのだよ。後者は心配しなくても元からネタが無いから関係ないかも知れないが、少なくともサイト管理人のそう言う話は、読んでて面白くないと思うんだよね。

    人に読んでもらうための文章。それはどういうものであるか。短い文章で多くを伝えるためにはどうすればいいか。小さな出来事を面白く演出するにはどうすればよいか。日記を通じていろいろ考えるようになっていく。

    会社生活の方も徐々に安定してきたのだけど、私は何故か労働組合の役員をやり始めていた。で、労働組合のイベントでスキーツアーというのがあってね。なんとそれがワンフェス当日と重なった。でもフィギュアでこういう活動をしていると言うことは周知であったから、事情を説明したら何とかなった。どう何とかなったというと。

    木曜晩から夜行列車で神戸から妙高高原(新潟)へ。金〜土とスキー。土曜の晩に皆と別れ、長野新幹線で東京へ。日曜はワンフェス。その晩オフ会で神戸に着いたの深夜1時。月曜は大阪で翌9時まで会議。その後飲みに突入。

    という。実はどうにかなっていないんじゃないかと思うスケジュール。会社と趣味と組合を全てこなすのは相当しんどい。ちなみにこういう大変な事は翌年も起こる。

    スペシャルサンクスな人:たまのぼるさん、はぁ〜さん

    [日記拍手]
    > いわたさん体に気をつけてね 10周年これまでの歩み読み応えありますなあ

    書き始めたら結構いっぱいあるもんです。予想以上に長くてそろそろしんどくなってきてます(笑)。

    [日記拍手]
    > 喘息の発作が辛いときにやってみた方法ですが、メンソレータムを胸のあたりに塗って寝ると少し気管支が広がるように症状が緩和されます。完全に咳がとまるわけではないですが、いわたさんはメンソレータム常用されてるようですのでだまされたと思って試してみられてもいいかもしれません(ちょっとべとっとしますがw)。あと南天の実が手近で手に入るなら乾燥させてお湯で煮詰めて飲むと咳止めにはこれ以上ないくらいききますよ^^(ちなみに濃いのを大量に飲むと怪しい薬程ではありませんが気持ちよくなりますのでご注意くださいw)フィギュアのほうは以前書き込みさせて頂いてから地道に顔を作る練習してますが実物を見たことがないのでそれなりにはなるんですが何かちがいます^^;

    メンソレータムねぇ。ヴィックスヴェポラップみたいな効果なんですかね。と言う事は別に塗らなくても臭いを嗅げばよいんじゃないでしょうか。ちなみに私が常備してるのはメンソレータムじゃなくてメンタームだけど(同じか)。

    南天は効きそうですね。とりあえず南天のど飴と、南天エキス配合のノドニィせきどめシロップを買ってきました。医者からの薬が切れて辛くなったら使ってみる事にします。でも、最近だんだん咳の量が減ってきたよ。何とか治るかな。

    知識人が多くて助かります。このサイトやっててよかったなー。

    [日記拍手]
    > ドトールと聞くと喫茶店よりレイズナー思い出してしまうロボオタクな俺orz

    これですか。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000K7UO6S
    このドトールから日記を書くのもオツですね。

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    2007年4月27日(金) - らくがきの歴史-2001 - 

    というわけで、今日はドトールに来ています。

    …こうして毎日喫茶店で日記更新すると言うのもなかなかリッチな感じがしますね。

    隣に座っている女性は本を読んでいるが、なんで家に帰って読まないんだろうね。この後デートなのかな。そんな中でアホな日記を書くのもまた一興です。咳が出るようになる前に日記を書き終えよう。

    そう言えば、かわろう!もこうして喫茶店で原稿を書いていたことが良くあった。出張の移動中なんて良く書いたよ。青森駅のドトールで、スーパー白鳥が来るのを待っていたあのとき。アルテコの使い方を書いてたなぁ。環境を変えると集中力も上がると言うものです。そのためのコーヒーなら、特に高いとも思わない。

    (昨日の歴史、記憶違いだった。組合の会報にフィギュアのことを載せたのは2001年です。なので昨日のは少し書き直してます)

    2001年

    このころになるとときメモ1はすでに過去のものとなり、ときメモフィギュアのレビューはメインコンテンツとしての役割を終えつつあった。というか、あれだけあったときメモフィギュアのほぼ全部のレビューがそろったのだ。そしてらくがき塗料箱は、ワンフェスディーラーとしての活動がメインとなっていく。

    2001年冬はワンフェスがなかったが、新作は作ってた。前回のワンフェスで普通のフィギュアに飽きた私は、ちょっと変わったものを作りたくなってた。ネタはときメモ2だったが、2人組のフィギュアとか、床に座ったフィギュアとか、とにかく普通と違う嗜好をいろいろ試みてた。

    その中で、サイトとして何を発信していけば良いかと考えた。ガレキの作り方はもういい。次はフルスクラッチの仕方を学べるサイトに出来ないだろうか?しかし、フルスクラッチの手法はたくさんあるし、つかみ所が無い。そんなわけで、私の制作過程を連載し、出来るだけ細かく作り方を解説していくことをメインとすることになった。実際に書いたのは2000年だったが、「真帆&美帆」の制作方法紹介が、後に出すことになるフィギュア本の前身だったのは間違いないよね。

    これ以降、フィギュアを作るたびに、制作方法を、より人に教えられる物として完成度を高めていこうという意思が生まれるようになる。「なんとなく」ではなく、「こう言う目的があるからここに盛り付ける」という方法論みたいなのを意識してたと思うよ。

    で、ディーラー参加の方はというと。新しい仲間が加わった。ひろみかんさんである。ひろみかんさんも1人でディーラー参加していたのだが、らくがき塗料箱の「仲間募集」を見て参加意思を表明してくれた。

    しかし冬にはワンフェスがなかったので、ひろみかんさんのデビューは春のドルパということになった。このとき出した作品はONE〜輝く季節へ〜の里村茜。すごい出来でした。その後再販もすることになるけど、かなりの勢いで売れた。ヤフオクでも高値で取引されたよ。で、私はというと…新作の真帆&美帆はドルパやWHFで直前になって版権が降りなかったりして、自分の実力と違うところで苦汁をなめさせられる事が多かった。夏にはワンフェスが復活してそこで売り出すことは出来たのだけど、ワンフェス以外のイベントではコナミ版権は安心して出すことは出来ないと思い知った。

    この年に作った2作品は、業者複製に出した。勢いづいていた事もあって、50個くらいは売り切る事が出来るんじゃないかと思ったんだよね。しかし、結果は芳しくなく、かなりの数の売れ残りを出すこととなった。売れなかった理由はいろいろあったと思うけど、1イベントで20個くらいってのが自分の実力だったと思い知ったね。八重花桜梨は特別だったのだ。

    で、その特別な八重さんは…。サイト上で、完成させるという約束が出来る方から予約を受け付け、WHF有明で配布。その後、完成させた写真をサイトで展示するという、コンペみたいなことを行った。その後のワンフェスで完成させた各人の八重さんを展示させたりとか、面白いこともした。出来るだけ完成させてくれる人に優先して渡したいという気持ちから行った企画だけど、需要が供給を大きく上回った八重さんだからこそ意味のあった企画だったと言えるね。

    あと、この頃は東京に行くたびにアルピーヌV6Tさんのところに入り浸るようになり、関東のお知り合いとプライベートな付き合いをするようになった。アルピーヌV6Tさんは車を持っていたので東京での行動範囲は一気に広がった。茨城に住むたまさんの家まで突然押しかけて、そのまま一晩でガレキを1体みんなで作るとかアホなこともやったよ。これから数年間、関東に来るたびにみんなで模型を作ったり、カラオケに行ったりみんなで遊びまくったね。

    今ではワンフェス後の飲み会だけになっちゃったけど。基本的にはこの頃仲良くなった人たちが、らくがき塗料箱の盟友というか、仲間だと今でも思っている。

    そして会社生活法は…。労働組合の発行する会報誌に自分のフィギュア趣味を投稿して載せた。予想通り、私の存在は瞬く間に会社全体に広まった。各支社に散った150人の同期でも、もはや私を知らない人はいなかったね。これで恐いモンなんか無くなった。

    でも、そこまで自分の趣味を周知させたが、らくがき塗料箱の存在だけは絶対に言わなかった。私はらくがき塗料箱に来てくれている常連さん達をとても大事に思っていて、会社で知り合った人達が面白半分で心ない書き込みなどされると、皆を傷つけるかも知れないと思ったし、私信のような書き込みが増えると、他の人の書き込みがしにくくなると思ったのだ。このサイトだけは、誰にも邪魔はさせない。

    スペシャルサンクスな人:ひろみかんさん

    [日記拍手]
    > いや、寝ましょう!! 寝てください

    う〜ん。風邪じゃなくて、鼻奥が炎症起こしているだけなので、体はしんどくないのです。むしろおきているほうが楽なくらい。(内定GETおめでとうございます)

    [日記拍手]
    > 「咳が止まらない」とありますが、大丈夫ですか?私も黄砂の時期になると咳が酷くなって倒れる事があります。もし、内科に行かれて治らないのであれば耳鼻咽喉科で見てもらう事をお奨めいたします。出すぎたまねですみません。では、おだいじに。

    お気遣いありがとうございます。やっぱ黄砂なんですかねぇ。すでに耳鼻咽喉科には行っているのですよ。そこでもらった薬を飲んでいますが、夜の咳は止まらないんですよねぇ。GW中医者が休みになっちゃうけど、薬が切れちゃうな。どうしよう。

    隣の女性は男が来たので連れ立って出て行きました。あー、やるんだな。今夜絶対やるんだなー!(中学生並みの思考)

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    2007年4月26日(木) - らくがきの歴史-2000 - 

    夜になると咳が出るのは、副交感神経が強くなると気管支が狭くなるからだそうです。

    …なので、出来るだけリラックスしないようにすることにしました。

    自室にいるとリラックスしてしまうので、出来るだけ外にいよう。というわけで、近所のミスドで日記書いています。ポン・デ・リングはおいしいなぁ。ここで咳き込むと回りに迷惑をかけると思うとかなりスリリングですよね!

    このまま閉店まで粘るぜ。ホントはファミレスの方が良かったけど、ファミレスってなぜか1人で入りにくい。

    2000年

    2000年は就職をした事もあり、身の回りの環境が一気に変わった年だった。

    年明けてすぐにワンフェスだったが、論文の提出がそのワンフェスの翌日。ワンフェス前にかなり睡眠不足状態に陥ってた。もともとこうなる事は分かっていたので新作は展示のみにとどめていた物の、やはりこうなった。さらに東京への道のりは例によって徹夜運転。ワンフェス前日の朝には東京に入り、友人宅に着いた。そこで寝れば良かった物を、そのままそこでときメモ2をプレイするというバカをやった。そのまま夕方にビッグサイトに向かったら…倒れた。

    このころはワンフェスにかける気合いという物も相当な物があってね。極度の緊張と極度の疲労、それが重なると…体温低下、心拍数上昇、気分も悪くなり、動けなくなる。この時は救急車呼ぼうとしたね。結局は何とかそのまま乗り切ったけど、バカをやりすぎると痛い目に合うと分かった瞬間でもあったな。

    その後無事就職となり、私は名古屋を離れ、神戸へと移り住む。寮に住む事を考えて、騒音の問題からコンプレッサーを買い換えたなぁ…。その際には同じく神戸にお住まいの鳳天舞さんにはいろいろな模型店を紹介頂いてお世話になりました。鳳天舞さんとはこの後も、プライベートで行動を共にする事もあり、かなり仲良くしてた。

    しかし就職して新たな現実にぶち当たる。会社の寮での歓迎会の時、50人以上の前での自己紹介をしたのだが、私はフィギュアのフルスクラッチをやっていると堂々と言い放った。当時はかなり感覚が麻痺してたと思う。私がいた大学はオタクばかりだったので、そう言う事を言うのは別に恥ずかしい事とは思っていなかったのだ。それに、新しい環境で同士を見つけられないだろうかという期待もあったのだ。しかし、社会は厳しかった。それは瞬く間に嘲笑の対象となった。

    造形をメインとしていても、フィギュアという部分だけが先行して話が広がるためどうも印象が悪くなっていく。私は今でもフィギュア造形が恥ずかしい事とは思ってないが、世間の偏見はかなりの物だと気付いた。自分だけではなく、フィギュア文化その物が否定された気がして悲しくて仕方なかった。

    しかしそうやって笑っていた人達も、私の部屋に入って、実際に私が作った物を見てからは、笑う事は無くなった。予想以上に出来に驚いたらしく、それからはただのオタクではないという評価を持って私の噂は広まっていったようだ。

    自分と知り合った人達が、徐々にフィギュアへの偏見を無くしていく。身近にそう言う人がいるという事で、フィギュアその物も身近に感じてもらえるのではと思った私は、もしかしたら自分がフィギュア趣味への偏見を変える事が出来るのではないかと思い始める。ウチの会社は大きい。これだけの数の人にガレキ趣味の存在を知らしめれば、いずれは世の中全体の考えを少しは改められるかも知れない。そんなことも思い始めた。

    さて、ディーラーの活動はどうなったかというと、ときメモ2の勢いをそのままに、夏のワンフェスでは3体も出品した。社会人となってからは原型を作る時間はかなり厳しくなったが、プライベートの時間の全てを原型につぎ込むくらいの勢いで、とにかく原型製作だけを考えてた。深夜2時頃、私の部屋の灯りだけがついていて、窓を少しだけ開けて(換気のために)作業をしているのを向かいの棟のトイレから目撃した人達の噂にもなってたくらい。当時は飲み会断って原型作る事もあり、ちょっと行き過ぎてた気もするけど、とにかく一番夢中になってた時期だと思う。

    特に夏ワンフェスで初出展した八重花桜梨は雑誌にも掲載されて、かなりの反響を呼んだ。その後のWHFでも開場前に並ぶ人もあったり、完売するたびに再販願いが来たり、ヤフオクに出たりと…まぁ伝説だったな。

    それとこの時、完成品の塗装を他の人に任せるという事をやり始めた。KENCHANさんや疾風さんに塗装を依頼したりした。原型師とフィニッシャーを分担していた時期でもあったね。今でも感謝しています。

    ときメモ2への情熱も凄くて、ときメモフィギュアを愛する人間として頂点に立つという変なプライドがあって、ワンフェスやJAFCONに出展されたときメモ2のフィギュアを全部写真に納めてレポートするという事をやっていた。自分一人でやっても面白くないので、常連さん達と手分けして完全レポートを完成させる!なんて企画もしてた。サイトとしても盛り上がってた。

    しかし、この年の夏ワンフェスで、「ワンフェスリセット宣言」が行われる。次回のワンフェスは無いよとアナウンスがあったのだ。これはガレキ業界の大事件であったが、意外にも私は冷静だった。なぜならこの時既にワールドホビーフェスティバル(WHF)というイベントが登場し始めてたからね。

    神戸に引っ越してすぐ、神戸ではこういうイベントがあると言うのを「安眠のガレキのばぁー」の、いトやすさんに教えて貰った。当時のWHFはまだ非常に小さく、中古トイがほとんどで、ガレキディーラーは2,3個しか無いようなイベントだったのだが。いトやすさんが中心になって、関西のディーラーに参加を呼びかけていたのだ。WHF神戸会場横の小さな控え室に主催者の森田さんと関西の原型師さん達が集まって、どうすればガレキイベントとして成長出来るのかと意見交換をしたのも懐かしい思い出です。今でもWHFでは森田さんが走り回っているのを見ますが、そのたびに心の中でエールを送っていますよ。

    そんなわけでWHF神戸に参加して協力もしたいと思っていた私は、八重花桜梨というキラーアイテムを持ってWHFに挑むのであるが…。コナミ版権はなかなか厳しく、有明以外での販売を認めてもらえなかったのだ。当然その後のWHF有明で出店もしたけど、この事もあって、コナミ版権…というか、当日版権の足枷というのを徐々に感じ始めていく。

    WHF以外にもワンフェスの代わりの舞台となる所を求めていろんなイベントに顔を出した。JAF-CON、ドールズパーティー、クリエーターズカーニバルいろいろと面白かったよ。

    あとは…東京に泊まるときに、アルピーヌV6Tさんのお宅に泊めて貰ったのもこの年が最初だったかな。これからアルピーヌV6Tさんの家は、らくがき塗料箱の常連達が寝泊まりする東京前線基地となっていくのである(笑)。

    スペシャルサンクスな人:いトやすさん、アルピーヌV6Tさん

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    > 咳をしても一人(尾崎放哉)。おだいじに。

    今一人じゃないところに身を置いていますが…。早く治って欲しいものです。

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    2007年4月25日(水) - オフィシャルなのにー - 

    ターンエーガンダムのDVD-BOX買ったぜ!

    …なんだけど、メディアの梱包方式が海賊版とかであるのと同じなのがやりきれない。

    普通の樹脂製パッケージの方が高級感あると思うんだよね。外装の絵もなんか安っぽくてますます海賊版っぽい。通常版の時の油絵タッチなヤツの方が味があるのに。

    すいません。なんか体調悪くて日記休みます。医者行って咳止め貰ったのに咳が全然止まらなくて途方に暮れてます。

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    2007年4月24日(火) - らくがきの歴史-1999 - 

    う、うおー。ここに来てかわろう!の売上が再上昇!

    …こ、これは新しいレンズ買っちゃうぞぉー!?

    98年の出来事で書き忘れた事があったので追加。

    1998年その2

    海洋堂のときメモフィギュアは3rdシリーズに突入。このときメモシリーズは香川雅彦さんという原型師が1人で全て作られているのだが…。3rdシリーズにして造形に大きな変化が現れた。なんと、藤崎詩織のスカートの中が埋められていたのだ!…ごめんそれはどうでも良くて、3rdシリーズ4,5目にあたる、朝日奈夕子と館林見晴の顔の造形が明らかに変な事になってた。もともと口の表現方法が特徴的であった香川さんだったが、この作品は何とも受け入れがたい物だった。これについては掲示板上でもいろいろ議論が交わされた。

    それならば、みんなから意見を集めて香川雅彦本人に物申す!という企画を思いついた。今思うとなんと大胆な事を…。らくがき塗料箱ではアンケートのコーナーがあって、毎回決まったお題で色々なモデラーから意見を集めていたのだが、そこでこれら2作品について思う事を集め、それを海洋堂香川雅彦様へ送りつけたのであった。

    これに対する返信は何もなかった。この手紙が海洋堂の中でどう処理され、香川さん本人に届いたのかすら確認出来ずに終わった。香川さんは新しい表現を求めてこのようなフィギュアを作られたのだろう。そして海洋堂もその心意気を否定することなく商品化したのだろう。しかしそこに送りつけられたのは「ほとんどが否定」な手紙。一部のオタクの戯言とスルーされたか、貴重な消費者の意見と受け取られたか。

    この作品を最後に香川さんはときメモシリーズを終え、完成品フィギュアのトップクラスの原型師となっていかれたが、我々はその後の造形に影響を…多分与えていないと思う。しかしこの企画によって「似ている事」と「原型師の個性を出す事」、どちらが重要なのだろうかと、色々考えさせられる事にはなったな。

    それと、サイト開設から1年が経過したころ。サーバをお引っ越しした。部活の先輩が卒業後に起業して、企業向けのレンタルサーバサービスをやっていたのだけど、そこに1つ小さなサーバを立てて貰い、そこに置かせて貰う事にしたのだ。知ってる人が運営しているという事で、安心感があるし、利用料はタダ。スピードも快適で、かなり居心地が良かった。URLはrakugaki.nanet.co.jpとなり、独自ドメインとなった。当時は個人サイトの独自ドメインは結構格好良かったよ。

    スペシャルサンクスな人:香川雅彦さん(笑)、Keiさん(サーバー管理人)

    1999年

    「みつめてナイト」のフィギュアで参加した冬ワンフェス。1ブースに3人分申し込んだのだけど、1つが空席のまま当日となりそうと言う事で、当時らくがき塗料箱の常連だった、たまさんに入って貰う事にした。たまさんは当時「みつめてナイト」の別のキャラのフルスクラッチを始めており、良かったらウチのメンバーとして今後やらないか。と誘ったのだ。

    そしてこの時のワンフェスで、同じくらくがき塗料箱の常連で、みずさんがディーラーを立ち上げ、「みつめてナイト」のキャラを製作、販売していた。でも我々はネタも同じだし、次からは合同でやれば良いかもって話になり、その次の夏のワンフェスでは、らくがき塗料箱は私とたまさんとみずさんの3人の原型師によるディーラーとして新しいスタートを切る事となった。

    とはいえ「みつめてナイト」のネタで統一して参加したのはその時の夏ワンフェスだけで、その次からは各自好きなものを勝手に作るごった煮ディーラーとなるんだけどね。

    そして我が複製担当のHit君ははじき出された。というか、原型師と複製担当の間でいろいろあって

    原型師「こんな複製品で納得出来るかぁぁっ!」
    複製担当「こんなもん抜けるかぁぁっ!」

    という感じで決裂したのだ。その後、複製も私の手でやる事となった。機材は全部貰ってね。けど、決してケンカ別れをしたワケではなく、プライベートでのつきあいはそのままだったよ。

    そしてこの年の暮れ「ときめきメモリアル2」が発売になった。私はゲームが発売になる前から版権申請してメインヒロインを作り上げ、発売日直後のワンフェスでメインヒロインを販売しちゃうくらいの期待をこめていた。

    そしてこのゲームで私の萌えパワーは頂点に達する。このゲームの八重花桜梨というキャラクターにぶっ壊れた。あまりの破壊力で、脇目もふらず1週間でそのキャラの原型をほとんど形になっているところまで持っていっちゃった。確かこの時は毎日原型の途中経過をサイトに載せるなんて臨時企画もやっていたくらいで、とにかくキャラに夢中になってた。

    既にこの時、私の原型製作手順はほぼ完成してたんじゃないかな。作りたいと思ったら短期間のうちにある程度の所まで立体化出来るだけのスキルを身につけていたと思う。そして、製作経過を載せる事で、この手法を初心者の人へ教える事が出来るんじゃないかと思い始めていたのだ。よく考えたら原型作り初めて2年しか経ってないなぁ。

    スペシャルサンクスな人:たまさん、みずさん

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    2007年4月23日(月) - らくがきの歴史-1998 - 

    オリンパスから最小デジタル一眼レフ、E-410が出ましたね。ヨドバシで今日見てきた。

    …イラネ。

    1998年。

    と言うわけでワンフェスディーラー参加。でも実はネタはコアラだけではなかった。AFVモデラー疾風さんがブースを間借りして自作ガレキを作りたいと言ってきた。内容は「イタレリ社対応1/35レオパルト2ディテールアップキット」…なんか良く分からんけどめっちゃ戦車です。それと、えすとも君が版権フリーのワンダちゃんを作ってきたのでそれも販売。

    さらに、ときメモの制服を着たリカちゃん人形の展示(!)。最近姉の様子がおかしいと思ったら、部屋に閉じこもってこんなモン作ってた。弟がワンフェスに参加すると知って何かやりたかったらしい。今思うとこの後のドールブームが来る事を予感させるかのような展示である。

    そんな感じで参加。当時はお金もなかったから、車で東京まで、しかも高速道路をつかわずにひたすら走っていったのだ。名古屋〜東京だから10時間以上かけて行っていた。若かったなぁ。

    ワンフェスの結果は「販売記」の方に書いているのでここでは詳しくは書かないけど、とにかくもの凄い反響ぶりですぐに完売したのだ。まぁ、ネタの勝利だけどね。自分のネタ作りのセンスも大したモンだったなと今となっては思う。

    疾風さんの戦車のヤツはなんか分かる人には分かる物らしく、ちゃんと売れた。えすとも君のワンダちゃんは売れなかったのだが、その後のモデルグラフィックスの水玉螢之丞のワンフェスレポートに載ってしまった。

    そんな感じでディーラーという味をしめた私。今度は本格的に女の子フィギュアを作る事にする。その次の夏のワンフェスまでには、殺人コアラを発展させ、中に入っている館林見晴を表現した胸像、それとときメモのサブキャラ、秋穂みのりの2つを作った。

    この時、フィギュアのフルスクラッチの仕方をネットや書籍の中で探した。しかしそんな情報はなかなかない。製作途中を段階別にサイトに掲載している人もいたけど、それを見ても、どうしたらその形になるのかが全く理解出来なかったのである。この時、フルスクラッチを解説した本があればいいのにと強く思った。フルスクラッチを始めたいと思う人がつまづく事、知りたい事、それが何かはこの時の事を思い出すと良く分かるよ。

    このころは材料について試行錯誤していて、館林見晴の顔は木部用パテで作った。しかし製作記を見返すと、秋穂みのりの製作手順は、今とそれほど変わっていない。全身像を作ったのはこれが初めてだったはず。今思えば、最初に自分がやったやり方、ただそれを発展させて自分の手法を完成させたんだなぁ。うまくできないからとやり方をすぐに変えてしまうような事はなかったのだ。技術は育てるものだと言えるかも知れないね。

    そして夏のワンフェスを迎える。そこそこ売れたが、今度は完売とはならなかった。今でも覚えているが「時間無かったんですか?雑ですね。」と言われたのがかなりショックだった。時間はあったとは思ってないけど、自分なりに一定のレベルには達していると思っていた。自分が下手だという事が、言われて初めて分かったのである。

    今でも思うよ。自分の下手さは自分では分かりにくい。特に原型作って2,3体目の頃は特にね。立体化の方法は分かっていても、それを客観視出来る目が無いから。今現在、私の本を読んで、原型作り2,3体目に入っている人は結構いると思う。変な自信がついているかも知れないけど、自分では下手さが分からなくなっているかもしれないよ。そしてそれを「下手だ」と言ってくれる人がいたら、それはありがたい事なのです。

    ちなみにこの時の館林見晴はモデルグラフィックスにちっさくだけど載った。けどディーラー名が「らくがき資料館」と誤植されてたとさ…。

    そして次の99年冬のワンフェスに向けてまた原型製作を開始する。当時は、ときメモとほぼ同じゲームシステムを使った「みつめてナイト」というゲームがプレステで発売になり、これがときメモユーザーにとってはかなり面白いと言う事で、らくがき塗料箱の掲示板では結構な盛り上がりを見せていた。その関係で私は「みつめてナイト」のキャラクターを立体化していく事を選択するのである。この頃は、世間でブームになっているキャラから少し外れた、でも好きな人はいるはずであろうキャラの立体化という、ガレキの王道を進んでいたと言えるだろうね。

    さて、複製の方も話をしておこう。複製を業者に発注するのってどうやるんだ?と大それた事を考え、掲示板に書き込んでくれた事をきっかけに、大日本餓麗爾屹吐というディーラーさんの方から「R・C・ベルグ」という業者を紹介して頂いた。どう考えてもこの時の私の腕で、業者発注で利益が出る物なんて作れなかったのだが、ここで使っている材料を個人向けに通販してくれるらしいと言う事が分かり、早速利用させてもらう事にした。

    実際使ったのは複製担当のHit君だが。感想はとても良い物だった。確かに使いやすい良い材料でね。シリコンと粘土は以降、今に至るまでずっとこれを使い続ける事となる。

    あぁ、それとね。キャストの量を量るためのデジタル量りをこの冬に買ったらしい。その時の物を今も私が使っているんだけど。じゃ、これを買う前は何を使っていたのかというと、なんと天秤と分銅を使っていたのだ。理科の実験か?たまたまHit君の家にあったからという理由だが…。

    さて、ディーラーの話はこれくらいにして。サイトの方はというと、まぁ順調にレビューも集まり、掲示板も盛り上がってた。

    ところで、らくがき塗料箱には姉妹サイトが存在していたのを覚えている人はいるだろうか。当時、ガレキの作り方を紹介していくサイトを目指していたわけだけど。

    「らくがき塗料箱」は「らくがき絵具箱」というときメモのスクリーンセーバーから来ている事は既に書いたが。そのスクリーンセーバーはシリーズ化しており、他にも「きらめき宝石箱」「うきうき弁当箱」「どきどきびっくり箱」という商品が存在した。そこで、「らくがき塗料箱」も同じくシリーズ化するぞ!と意味不明な事を考え、「きらめきおもちゃ箱」「うきうき化肖箱」「どきどき工具箱」というサイトを作った。いや、作ってもらったのだ。掲示板とかで仲良くなってた人がサイトを立ち上げるという話になると、こういう企画でタイアップサイトをやらないか?と持ちかけてその人のサイトにコンテンツを作って貰ったのだ。



    こんな感じでバナーも作り、トップページに貼ってた。いずれもときメモフィギュアを主体にしつつ、ガレキ初心者に役立つ情報を提供するページという事で。当時はまだ無かったけど「Webリング」みたいな感じかな。4つのサイトが揃ったのがこの年で、それぞれそれなりにサイト運営を続けていたのだけど、その翌年の暮れには特に面白い企画を思いつくことなくこのタイアップサイトは消滅してしまうのであった。

    フィギュア仲間を増やしたという意志と、初心者への情報提供という目標を持った自分の企画だったけど、うまく行かなかったな。

    スペシャルサンクスな人:大日本餓麗爾屹吐さん、masahiroさん(「どきどき工具箱」管理人)、Sin_彩さん(「うきうき化肖箱」管理人)、六道啓一さん(「きらめきおもちゃ箱」管理人)

    [日記拍手]
    > 10周年とはおめでたい。97年の話、楽しんでます。やっぱ熱意と継続は大切ですねー。

    98年も楽しんでね!(だんだん疲れてきたが…)。どうすれば改善出来るかよく考えて継続する事が大事と思います。それは他のバイクやカメラについても私は同じ姿勢です。

    [日記拍手]
    > ロダン展うらやましいっす  コアラ←殺人コアラですか?

    殺人コアラだよ。正確には、なかに館林さんが入ってる方のぬいぐるみの方だけどね。

    [Web拍手]
    > サイト開設10周年だそうで。おめでとうございます。数少ない私の作品を紹介して下さったサイトという事で、ときたまチェックさせて頂いておりましたが、その度に、毎度面白い事を良く書けるなぁと(日記)関心しています。あれからもう…6年?はやいものです。これからも“ときたま”チェックさせて頂きますね(笑

    ありがとうございます。えー。どの作品の人だろ。良い作品を紹介していくのも活動のひとつ…かな。これからもときたまで結構ですのでチェックして下されば嬉しいですよ。

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    2007年4月22日(日) - らくがきの歴史-1997その3 - 

    このイケメンパワーで全て解決するというパターンは続くのか!?

    …なんか今週はやけに力入ってたね。(プリキュア)

    兵庫県立美術館のロダン展に行ってきた。ロダンってエロい作品多いよねー。まぁ本人かなり愛人多かったしそう言う人ではあったんだけど。

    それにしてもだね。彫刻を照らす照明が真上からになっているのは納得いかんよな。美術館でさえこのありさま。ガレキイベントで照明をどうにかしようなんて思う人は誰もいないのかも知れない。

    1997年その3

    さて、夏のワンフェスも終わったが。私とHit君の興奮は冷めやらなかった。いつものように部室でバカ話をしていると、いつのまにやら「ワンフェスで殺人コアラを作って売ったら受けるんじゃないか」という話になった。殺人コアラというのはときメモで出てくる隠れキャラで、ときめきメモリアル対戦ぱずるだまでは、その殺人コアラの着ぐるみに館林見晴というキャラが入って登場する、ギャグ扱いのキャラクターである。

    形状簡単そうだし何とか出来るんじゃないかと思い立ち、その日のウチにワンフェスの申込書取り寄せの書類を送った。思い立ってから行動に移すまでのあまりの速さにお互いおかしくてたまらなかった。ワンフェスに2回しか行ってないのにもうディーラー側へなれるかも。凄いぞ俺達!…この時点で気付くと思うのだが。我々はフルスクラッチを始めるよりも先にディーラー参加申込みへの行動を取っている。無謀だよね。

    そんな感じで妙にテンションの高い2人。次はフルスクラッチだ。フルスクラッチと言えばファンドだよねっ。と言う事で、2人ともファンドを買ってきて試してみる事にした。紙粘土みたいなもんだと思っていたけど、思った以上に手こずった。とにかく乾かないっ!こんなに乾燥時間が遅いんじゃ話にならないんじゃないかと頭を抱えた。

    2人で対策会議。オーブンで焼けばすぐ固まるんじゃないか?とかね。多分ファンド使いが通る道だよなー。当然膨張して失敗…なんだけど、フタを開けた状態で加熱すればちょうど良い温度になるぞとか、いろいろ試した。でも結局は乾燥に対しての具体的な解決方法は出来なかった。そのまま乾燥時間の遅さに泣きながらコアラの立体を作った。2人で泊まり込んであれこれ試行錯誤したなぁ…。出来たのは全高7cmくらいのコアラ人形3体。こんな物でも、最初はこんなにも苦労したのだ。

    でも、今思うと不思議なのは、その時点でなぜ「ファンドは使えないからパテでやろう」と思わなかったのだろうか。とにかくその頃はフルスクラッチはファンドでやるものだという先入観から逸脱出来なくなってたような気がする。ま、それが最終的にはファンドの使いこなしへとつながっていくのだけど…。

    完全にワンフェス初心者の2人。版権申請の時は塗装が出来てないといけないと思い、原型に直接着色した。で、版権申請までに完成写真を作り上げたのである。

    版権申請が終わると複製へ。これも未体験の領域。ここらで2人の役目をわけようという事になり、私は原型担当、Hit君は複製担当という事になった。フルスクラッチの何かをつかんだ私は、このあたりで女の子フィギュアを作る事を視野に入れ、いくつかの試作を作ったりし始めていった。原型師への道を歩み始めたのだ。

    Hit君は東急ハンズで複製に必要と思われる道具を購入し、知る限りの情報の中で複製をやってのけた。まずはキーホルダーとかの小物を試しに複製してみた。質は悪い物の、原型と同じ形をした物が出来上がった時はかなり感動モノである。その後苦労しながらワンフェス出展用の作品も複製した。彼はこの後も自分自身で情報収集し、試行錯誤を繰り返しながら複製技術を身につけていった。数年後、複製を含めて私が行うようになるのだが、それまでの複製方法の基本は彼が作り、私に伝授したのだ。

    彼は今となってはらくがき塗料箱の一員というよりかは、ただの友人というポジションになってしまったが、ディーラー立ち上げ当時は、2人はプリキュア…じゃなくて2人で1つだったのである。

    そして、年が明けるといよいよワンフェスディーラー参加が実現する…。

    あ、それと。1997年のうちに1万アクセスを達成した。あのときのインターネット人口からすると、予想よりも早いペースだった。当時は、1000アクセス毎に記念CGとか描いてましたね。

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    2007年4月21日(土) - らくがきの歴史-1997その2 - 

    昨日飲み過ぎ。

    …プチ二日酔いで全然調子でない。

    前回のワンフェス時、K100Dのピントがずれるという話をちょっと書いたけど、色々検証したら原因が今日分かった。スーパーインポーズで光る点に比べてAFをする範囲が広いからです。

    ・←赤く光る大きさ
    ○←AFでピントが合わせようとする範囲

    これくらいの差がある。だから、ピントを合わせるターゲットが小さいと、その周辺を含めた広い範囲で最もコントラストが高いところにピントを合わせようとするために、時に後ろの物にピントが合ってしまうのだ。つまり、AFユニットがファインダーに対して大きすぎるんだよ。なるほど、この辺りが安物の作りか…。

    しかしこのカメラに対する不信感は無くなった。状況によってAFを外すかどうかが分かるようになったから。カメラに限らす、これは人間でもそうだと思うけど、欠点を正しく理解出来るようになれば上手に扱えるようになります。仲良くなれない人がいるとしたら、それは多分、己の懐が小さいからだと思う。

    以上忘れないようにメモ書きでした。

    1997年その2

    サイトを公開した。アクセスカウンターは1。相互リンクを張ってもらってしばらくすると、自分以外のアクセスがあった事が分かる。サイトを運営した事のある人なら誰でも経験する嬉しい最初の瞬間…だよね。

    さて、レビューを募集をしてみた物の、来るわけ無いので…。自分からお願いしに行く事にした。当時ときメモフィギュアを掲載していたサイトは2,3件くらいあったんだけど、そこに「俺のサイトのためにレビューを書いてくれ」的メールを発信したわけ。今だったら出来ないなぁ。当時はインターネットも和気藹々としてたから、みんな快く書いてくれたよ。

    最初にレビューを依頼して書いて頂いたのはBoa_UPさんという方だったんじゃないかと記憶しています。Boa_UPさんには更に模型のお知り合いが多く、その中の数人の方も後にレビューを書いてくれる事になります。その中のKENCHANさんは、今でも交流が続いる方の中で最も古い方ですね。

    さてサイト開設から2ヶ月後、掲示板が完成した。レンタルとかは一切使わず自分でプログラムを作って掲示板を作り上げた。情報系の学生だったという事もあって、プログラムを組むのは趣味のひとつでこれはこれで楽しんだ。雛形になっているのは「CGIプログラミング入門」という本にあった掲示板だけど、自分流に見やすくアレンジしている。

    掲示板について。多くの人に書き込んでもらうためには「気軽さ」を演出しないと行けないと思った。当時からいろんな形式の掲示板があったけど、表示は見やすく大きく、そして書き込みフォームと最新過去込みが近いところに表示される事が重要だと思って今のデザインに至っている。あと「以下のルールを守れない人は書き込むな!」みたいな注意書きも不要。基本的に、守ってもらえないルールは書いても無駄だし、あまり高圧的にルールを書きすぎると、心の狭い人に思われる恐れがあるんじゃない?「書き込みを勝手に削除する権限が管理人にある」その一言だけで良いよ。今でもそう思っています。

    また、掲示板の書き込みはこのサイトの歴史でもあるから、過去の掲示は一切消えないシステムとした。100件毎にまとめて後で編集するなんて面倒なシステムにしているけど、今見ると続けて良かったと思える資産だよね。

    そういえば、掲示板開設当時は面白い機能があった。「朝日奈夕子」というときメモのキャラクターがいたのだが。これを「朝比奈」と書き間違える人が多かった事があり。朝比奈という文字列があると「間違ってないか!?」と問いただす機能があった。今じゃもうこのチェックシステムは外してあるけどね。そんなときメモ愛もある掲示板だったのだよ。

    他にも、このプログラムは見えないところで徐々にパワーアップをしていき、今では迷惑書き込みも自動で判別できるようになっていたりと、これのメンテナンスも趣味のひとつとなっていく。時々防壁を突破して書き込みをされてしまうのが目に付くけど、実は現在、裏では1日10通以上の迷惑書き込みを自動排除している。

    さて、掲示板が出来た事で、人との交流が活発になっていく。当時は2ちゃんねるような大きな匿名掲示板が無かったので、趣味の交流はこういう個人サイトの掲示板がメインとなっていた。らくがき塗料箱は、ときメモフィギュアレビュー集があることから、ときメモとフィギュア好きが集まるサイトとしての地位を徐々に確立していく…。

    仲間もいっぱいできた。サイト開設から数ヶ月しか経ってないのに今思うと凄い事です。当時私はヒマだった事もあり、掲示板に書き込んでくれた1人1人に掲示板上のレスとは別に、書き込みありがとうのメールを送っていた。こういう事は普通じゃなかった気がするけど、自分が他のサイトで書き込みをしたとき、メールでお礼してくれる人がいて、それが嬉しかったので自分でもやり始めたのだ。自分がサイトを見る側だったらどういう事が嬉しいのか。そう言う事も考えて活動していた。

    この年に知り合った人で印象深かったのは…。疾風さん。AVF(戦車)モデラーなのですが、ときメモの古式ゆかりさんが好きというキャラクターでした。大学生同士という事もあって、ほとんど毎日メールをやり取りしてました。しかもかなりの長文メールを…。おかげで兵器関係の模型文化に詳しくなりました。

    それと、あさにゅさん。海洋堂所属のプロ原型師の方です。この方の目にウチのサイトがとまり。ガレキの作り方のページが分かりやすいと言う事で、それをプリントアウトした物が大阪のホビーロビーで配布される事になったのです。「初心者にフィギュア作りを教えたい」。今思えば、サイト開設から数ヶ月ですでにペーパーメディアとしてらくがき塗料箱は海洋堂に存在していたんですね。あさにゅさんはプロ原型師のお知り合いということで、後に私がフルスクラッチを始めるときにはちょっと心強い存在となるのでした。

    あと、鳳天舞さん(当時は別のハンドルネームでした)。全くの模型初心者でしたが、掲示板でキット製作の経緯を逐一報告されており、みんなからアドバイスをもらいながら確実に成長されていった方です。私の事を師匠と(勝手に)呼び始めた、最初の方だったかも知れませんね。鳳天舞さんは神戸にお住まいでして、後に私が神戸に引っ越した際には、関西の模型店を紹介してくれたり、プライベートでのつきあいもあったりと、関西での最初の友人になるのでした。

    さて、そして時は8月になり。ワンフェスが開催。ここで時間を決めて会場内のあるところに集まってみんなで顔を会わそうという事になった。掲示板上でのお知り合いとみんなで会う事に。こういう事は初めてだったのでワクワクでした。ミニオフ会みたいなものです。この顔合わせはその後何年かにわたり行われる事になります。昔は、訪問者同士の横のつながりは今よりも強かったと思いますね。この時の事だけは覚えているけど、会場で見たフィギュアの事は…もう覚えてない。物より思い出ですね。

    あと掲示板と同時期に「らくがきフィギュア日記」のページを作った。今の製作記に当たる部分。フィギュアの製作法を伝えるには、自分の製作過程を公開する事が一番手っ取り早いと思ったからです。当時はヒマだったんでほぼ毎日製作記録を書いてたな。後にこれがメインコンテンツに取って代わる事になる。

    それとこの年、「電脳オタクページ」というオタク系のサイトを紹介する書籍が発行されたのだが、それにらくがき塗料箱は載った。メディアに名を残すに至ったのである。

    …あぁ、今日はここまでかな。97年終わらなかった。この後はワンフェスディーラーへの道が始まります(長いぞ97年)。

    スペシャルサンクスな人:Boa_UPさん、KENCHANさん、疾風さん、あさにゅさん、鳳天舞さん。

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    2007年4月20日(金) - らくがきの歴史-1997 - 

    終電まで飲んだ。

    …少しのどが痛いです。(キシレンではない)

    こんな事もあろうかと会社で書いておいた。らくがき10年史続き。

    1997年

    当時インターネットと言う物はあまり一般的な物ではなかったのだが。情報系の学部生だった私は大学の端末が使えたのでそれなりにインターネットという物を知っていた。とはいえ、ようやくWebと言う物が姿を現し、結構面白いなーとか思ってたくらいだったのだが。

    私と同じ部員で、その大学の電算室とも言える部屋に入り浸っていた友人がいた。えすとも君という言うのだが、彼は私がドッターである事を知り、Webの世界にはバナーという小さな絵の世界がある事を教えてくれた。ドッターというのはドット単位で絵を描く職人の事で、当時そんなCGを描く事も私は趣味の1つにしていた。

    面白そうだと思ったので、その日の晩に88×31ドットのキャンバスに館林見晴(ときメモのキャラね)を描いて見せてやったら、「じゃぁこれをいわたくんのホームページのバナーにするのね」と勝手に私がサイトを作るような雰囲気に持っていったのである。

    まぁ少しは興味があるのでちょっと作ってみるかと思った。当時は今みたいなブログはないので、作るとなったらページの構成からすべて考えなきゃいけない。ブログじゃないから、何かメインコンテンツのあるサイトで、参照する価値のある物こそがWebサイトであるというような雰囲気が当時はあった。

    サイトを作るからには、そのコンテンツは世界で最も詳しいサイトでなければならない。私はそう思った。そしてそれは、マニアックな分野であるほど実現しやすい。他にやる人がいないからね。当時の私は「ときめきメモリアル対戦ぱずるだま」と「フィギュア」にハマっていたのだが、ビジュアル的にも良かろうという事で後者をテーマにする事にした(前者になってたらどうなってたんだろう)。

    フィギュア作り(当時はキット製作)は楽しい。それを伝えたい。フィギュア趣味を広めたい。しかし、ガレージキットの作り方はあまり知られていない。だからフィギュアの製作法を紹介するサイトは役に立つだろうと思った。そしてもう1つ。海洋堂のときメモフィギュアが好きだから、もっと作って紹介したいと思った。

    で、いろいろ考えた結果、「市販されているときメモのガレキの、製作レビューを公募して載せる」というサイトを思いついた。これなら好きなときメモを扱えるし、レビューによりガレキを作るにあたっての注意点などを載せる事になり、ガレキの作り方の情報をどんどん集められる。素晴らしい。

    ちょっと無理あるかなーと思ったけどね。インターネットもデジカメも当時はマニアの持ち物。ときメモが好きで、ガレキが作れて、インターネットに接続出来て、デジカメ持ってて、さらにレビューを書いてくれる人なんて全国に何人いるんだ?正直うまく行くとは思ってなかった。募集はする物の、ほとんどは自分でレビューを作っていくしかないだろう。時間の許す限りときメモフィギュアをとにかく作ってどんどん掲載していく。それが自分のすべき事だと思った。

     人が何かを目指すときには そこに必ず道が見えるさ

    そんな感じでサイトをデザインした。当時あったコンテンツは
    ・これまで自分が作ったフィギュアを展示
    ・ガレキの作り方解説
    ・ガレキ作りのQ&A
    ・ときメモフィギュアレビュー集
    ・自分の描いたドット絵集
    ・自分の描いた女の子キャラの鉛筆画(痛)
    ・自己紹介
    こんな感じ。

    サイト名は…ときメモ関係のサイトだとすぐにわかる名前で、出来るだけフレンドリーなのが良いと思った。横文字は使わず、ひらがなを使った名前。そしてふと机の上を見たら「らくがき絵具箱」という、ときメモのスクリーンセーバーが目に留まった。このタイトルってセンス良い。ウチだったら模型だから絵具じゃなくて塗料だよねということで「らくがき塗料箱」となった。安直だが、当時のときメモ好きならこれがときメモ系サイトだとすぐにわかるし良いと思ったのだ。

    タイトルフォントまでオリジナルに真似てつくった。まぁ、半分パロディなわけね。そりゃまさかこのタイトルで10年もやるとは思わないしね。ときメモと運命を共にするつもりだったのだ。

    それと、自分の名前。普通はハンドルネームというものを作って本名を使わないものなんだが。本名ひらがなにしただけの「いわた」。これはこれで実はコダワリがある。オフ会とかでハンドルネームで呼び合うのが嫌だった。そういうのがなんかキモイと当時は思ってたんだな。それに自分で自分の名前を考えるのってなんか恥ずかしくてね。当時はインターネットもそんなに怖いところじゃなかったし、本名ばらしても平気だったし、自分と向き合う意味でもハンドルネームはいらないと考えていた。

    けど、この安直な名前も10年続くとはやっぱり考えていなかったのである。今となっては安直過ぎてなんか嫌になってたりもするんだけど。

    そして晴れて1997年4月19日サイト開設。サーバーはさくらインターネットというところで、1年5000円でサーバの容量を無制限に使えるという、今じゃ考えられないサービスをやっていたところ。当時のURLはwww.sakura.ne.jp/~iwata/だった。

    さっそくリンクを貼る。当時はYahoo!JAPANでも申し込んだら即登録してもらえるくらいの平和な時代で、他の検索サイトもほぼ数日で登録が完了出来た。そして、当時のときメモファンサイトで、自分がよく見てたところ、またはときメモフィギュアを掲載していたサイトへ相互リンクを依頼。

    …と、ここまでがサイト開設までの道のり。この後またいろんな事が起こるのだけど、1997年は一番出来事が多い年なので、ちょっと書ききれない。97年後半は明日に続けることにします。

    スペシャルサンクスな人:えすとも君

    [日記拍手]
    > やはりスパチュラは買い換えないといけないんですかね?なにか手入れの方法はないものか…。

    それよりも、大事扱う事が重要だと思います。わたしは分からずに乱暴に使いすぎたのかも。

    [日記拍手]
    > >新しいスパチュラ買った方が → 研磨したらピカピカに戻るんじゃない?

    結構深い傷になっているので、バフとかじゃもうダメかもね。とりあえずタミヤコンパウンドで…(無駄です)。

    [日記拍手]
    > サイト開設10周年おめでとうございます!いつも楽しく拝見させて頂いております。これからもお体に気をつけて頑張って下さい。

    ありがとうございます。お体の方は…歳とともに辛くなって来てます(泣)。

    [日記拍手]
    > 10周年おめでとうございます!!「かわろう!」は運命の一冊です〜( ´ー`)

    ありがとう。私にとっても運命の1冊です。人に良い影響を与え続ける人でいたいです。

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    2007年4月19日(木) - 10年前の今日、ワクワクしながらFTPした - 

    というわけで、サイト開設から10年目の今日です。

    …ホントに10年経っちゃったなぁ。なんてこった。

    プレゼント企画への応募、ありがとうございます。コメント付きで応募下さる方が多くて、とても嬉しいです。また、やる気を貰えました。コメントについての返信はすぐには出来ませんが、応募締め切りの際には出来る限りしたいと思っています。気になる締め切りですが…。とりあえずGW明けるくらいまでは募集するつもり。

    プレゼントコーナーには他にも売れ残りの賞品をいっぱい出したかったのですが、タダとは言え、版権物の商品を配布して良いのかどうかが判断出来ず、結局あの3人しか対象に出来なかったのです。売れ残りのキットはそろそろ廃棄しようと考えているので他にも「捨てるならあのキットくれ!」という方は別途一報下さいな。

    さて、Yahoo!JAPANでさえ去年10周年であったことを考えれば、らくがき塗料箱が如何に古いサイトかという事が分かりますね。あれから10年も経ってると思うとホントに凄い。らくがき塗料箱…何もかもが懐かしい。こうして目を閉じるといろんな事が思い出されるよ。

    さて、最近では「かわろう!」を読んでこのサイトを知ったという方が多いみたい。昔ここがどんなサイトであったのか知る必要もないとは思うけど、良い機会なので振り返る。私自身が振り返りたいので振り返る。振り返るったら振り返るのだ。しかも1年単位で10日間くらいかけてな…。(しばらく日記のネタに困らないぜ!)

     らくがき塗料箱 〜スペシャルサンクスな人達〜

    プロローグ

    199X年。地球は核の炎に包まれた。

    私がフィギュアという物を初めて知ったのは中学生の時。当時ガンプラ好きだった私は、B-CLUB(懐かしいな…)という、マニアックな雑誌を友達から借りて読んでいたのだが、そこにフィギュアという物が掲載されていた。当時はとにかく塗装が難しそうで、自分には無理な物というイメージとしか写らなかったのだが…。

    それから月日は流れ、私は大学生になった。模型趣味はすっかりやめてしまっていたのだが、ある時友人から「青春18切符が余ってるから一緒に大阪へ同人誌を漁りに行こう」と誘われて付いていった。しかし、当時の私はセーラームーンとか大好きのアニヲタになっていたものの、エロ同人誌には否定的な考えしか持っておらず、付いていっても同人誌を買う事はなかった。

    とは言え、せっかく大阪まで来たのだ。何か買って帰ろうということで、同人誌屋の奥に飾ってあったフィギュアのガレキを買って帰る事にした。それはかつて雑誌で見たような精巧な塗装ではなかったのだが、それが逆に「この程度の塗装なら自分でも出来る」と思う事になり、やる気を起こさせた。
    (ちなみにこの同人誌屋は日本橋の「えるぱれショップ」という店だが、今もあったと思う。ここがらくがき塗料箱発祥の地かも(笑)。)

    ガレージキットは作った事があったので、おおよそ作り方は分かってた。押入の奥にしまった模型用具を引っ張り出し、失敗と中断を繰り返しながら半年かけて1体作り上げた。それが「展示室」の一番下にあるスーパーセーラームーンね。

    そんな中、私はバイトで貯めた金でプレステを買った。そこで噂のときメモをプレイしてハマり…。1体フィギュアを完成させて自信がついた私は、次から海洋堂のときメモシリーズを少しずつ買っては作っていった。

    そして私は大学でハム・オーディオ研究会という、まぁ一般で言う無線部に所属していたのだが。そこにある後輩が入ってきた。彼こそが今でもこのサイトでも時々話題に出てくるHit君。彼はヲタっ気がありそうだったので、私はコイツを洗脳して仲間に引き入れようと、ときメモをプレイさせ、フィギュアを買わせ、製作方法までを伝授した。弟子1号誕生である。

    しかしその弟子は私にない行動力を持っていた。私が冗談で今度のワンフェスって行ってみたいよね〜と言っていたら本気にしたらしく、いつの間にか行く事が決定事項に。そんな流れでこの時、初めてワンフェスと言うところに行く事になった。

    その時のワンフェスから受けた影響は計り知れないが、とにかくフルスクラッチをするという文化に直に触れた事で、急激にガレージキットの世界が広がった感じがしたのだ。

    …サイト開設まで3ヶ月の時である。(その時、歴史は動いた?)

    スペシャルサンクスな人:大阪へ誘ってくれた友人,Hit君

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    > 10周年おめでとうございます。私もそれくらい(もっと)続けていきたい。

    ありがとうございます。

    続ける事が大事だとは思いません。私はただ、10年間飽きなかったというだけです。飽きなかったのは「次は何をしようか」という気持ちを常に持っていたからです。

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    > 毎日、日記を楽しみにしています。十周年おめでとうございます。家も十周年を超えましたが、ここ数年は放置状態、最近はブログをやってます。

    楽しめて頂けてるかいつも不安です。この日記もブログみたいなものですが。ブログもサイトの一部とすれば、毎日更新してる事になるのですよ(笑)。

    [日記拍手]
    > 磨き屋シンジケートが研磨完了するタイムはわずか(中略) では、その研磨プロセスをもう一度みてみよう!http://www.migaki.com/

    0.05秒って1/20秒だから、結構遅いよね。手ブレするじゃん。

    ま、新しいスパチュラ買った方が圧倒的に安そうだという事は予測が付きますが。

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    2007年4月18日(水) - 物より思い出 - 

    「寝過ごした」と書いているときは、翌朝日記を書いている時ですよ。

    …会社行くまでのわずかな時間に書くのでかなりスリリングです。

    長年使ってきたこのスパチュラだが。そろそろ限界かも知れないなぁ。表面がかなりキズだらけになってて、最近ファンドがこびり付く事が多くなった。

    最近ではボークスから同じ形状のスパチュラが発売になった事だし、これに買い換えても良いんだけど。この今使ってるスパチュラには思い入れもあってね。これに出会ったからこそ今の造形方法を確立出来たわけだし、今までずっと共に歩んできた道具でもある。ナイフ類などは刃が悪くなったら交換するから使い捨て感があるけど、これは何もかもそのまま。良き相棒であった。まさに自分の手足となって働いてきたのだ。

    一生使えると思っていたのに、だんだん表面のツヤが無くなってきた。今思えば、木部用パテを扱ったときにこびり付くパテをそぎ落とすときにキズが入ったんじゃないかと思う。付いてしまったキズはどうしようもないし、多分新しいものだと手に馴染まなくて…なんて事も多分無い。買い換えた方が絶対に良いのだ。

    でも何だか残念だな。こうして1代目、2代目のスパチュラが自分の一生のウチに出来ていくのかもしれない。それもまた、良いけどね。

    [日記拍手]
    > >そんな小粋なもの田舎にはどこにも無いのヨォー!!! そんな小ロット生産者の方にはこれをhttp://akizukidenshi.com/

    でもジャンク品は通販してないんじゃない?

    [日記拍手]
    > 「ストロボ」が「スパロボ」に見えますw

    「スパロボの使用はお控え下さい」(理由:危ないから)

    2ストがスト2に見えるようなもんですかね。

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    2007年4月17日(火) - 光の話 - 

    うは!寝過ごした。

    …では手短に、考えた事を。

    最近はイベント会場でストロボを使う事を検討しているのだけど。ストロボを弱くして、あくまで補助光として使う事を考えている。こうなると天井照明とストロボの色を同じになるようにしなければならないわけ。

    過去に撮った撮影データを色々調べていたところ、会場毎に照明の色は全然違う。すべて水銀灯だろうと思っていたのだが…。ビッグサイトは色温度にして4600Kくらいだった。意外にも、太陽光よりも赤い。朝夕の光にちかい。

    WHF神戸の国際展示場はもっと赤い。右の写真は、ホワイトバランスをストロボモードにして、間違えてストロボを発光しなかった時の写真。こんなにも赤っぽいのだ。RAWで撮影してなかったので色温度まではすぐに分からなかったけど、いろいろ試すと白熱灯モードのホワイトバランスと近い事が分かった。3000K以下かな?

    だから蛍光灯フィルターじゃ全く役に立たないってわけ。人間の目もデジカメも自動的にホワイトバランスを取るようになっているのであまり気にしなくて良いかもしれないが、もしかしたらイベント会場では、少し赤が強調されたように発色しているのかも知れない。

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    > >ジャンク屋 そんな小粋なもの田舎にはどこにも無いのヨォー!!!

    ではパソコン本体の背面ファンが適当だと思います。けど、電源がAC100Vじゃ動かないね。いらないパソコンの電源装置+ファンでどうでしょう。ノートPCの外付けACアダプタなら小型だし。

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    2007年4月16日(月) - どんどんスクスク - 

    俺はヒビキさんを超えたね。

    …そのうちザンキさんも超えるぞ。

    [日記拍手]
    > ゲキレンジャー見るのを忘れました。それにしてもどうしてあんなにミニスカーとなんでしょ?見えそうで見えないのもすごいし、あっそれと、誕生日おめでとう!!

    ロングスカートより闘いやすいから。それに考えようによっては戦いに有利だから。

    キャラデコも買ってこようと言うネタを思いついたのだが。やはり食べ物で遊んじゃダメだなと。(つーか近所に売ってなかっただけだ)

    [日記拍手]
    > 展示台良さそうですね。私の場合、会場で撮ってきた写真を見て後からキットが欲しくなり、再販がある場合は実際購入に至るケースも多いので売り上げにも貢献するのではと勝手に想像しています。

    そうそう。そう言う事です。初対面の時はそれほどでもないと思っていたけど、後になって好きになると言うパターンです。買って貰ったとしても綺麗な写真もあれば製作にも役立つし。

    [日記拍手]
    > プリキュア5ののぞみの悩みにズキュンときました。関係ないけどいわたさんの新作は尼さんだと予想

    ♪問題が解けない涙は 心の消しゴムで消しちゃおう (問題は解決しなくて良いらしい)

    頭が良くなくても、頭の良い人を味方にする才能があれば世の中は渡っていける。そう言う事ですよ。

    なるほど瀬戸内寂聴フィギュアですか。もの凄く高額で売りつける事が可能な気もしてきた。

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    > 今回イベントレポートはなしなんでしょうか。。

    要は、掲載出来るような良い作品が無かったという事です。1個か2個しかなくてね。いくつかのイベントでまとめて掲載しようかな。

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    2007年4月15日(日) - 道具は自分で作る - 

    ゲキレンジャーが良い展開になってますな。

    …ブラコをもう1回蘇らせればもう5本真毒が手にはいるんじゃないかと思った今日この頃。

    ゲキレンジャーはどう見ても悪役の理央が一番かっちょええ〜。

    New棚の補強やらレフ板の設置方法とか昨日やり残した事を完了。より完成度を増して満足。それと今回スチレンボードが余ったので、これをストロボのディフューザーとして使ったらかなりイイ感じ。加工もし易いので良い撮影アイテムになりそう。WHF神戸が楽しみだ。

    そして原型が進まないのであった。

    [日記拍手]
    > 写真撮影に配慮しても売上につながらないのではないかと → 展示台が売れるもフィギュアがのこるブースに

    それで私の考えた台が標準となるなら嬉しい事じゃないか。

    [日記拍手]
    > 全部設計できるこれがいいと思います。 http://www.storio.co.jp/diy/

    多分高く付くと思うよ。本物の木を使った物は高いです。それに、会場に持ち込む事を考えると、分解組立が出来る構造でないと行けないのでね…。

    [日記拍手]
    > 手作りネタに便乗して、以前日記に書いていた換気扇を使ったブースみたいなのはどうやって作ったんですか?

    書いたっけ?あれはAC100Vで動くファンを買ってきて、段ボールで四角い筒状にくるんだだけだよ。それを窓を半開きにしてちょっとだけ外に着き出すように配置、あとは窓を適当に段ボールで塞ぐ。

    ファンはいわゆるジャンク屋に売ってたんですが…。最近この手の店もあんまり無いよね。

    [日記拍手]
    > 歯科用のシリコンのレポートはここではなく掲示板の方がよろしいでしょうか?

    長文になりそうなら掲示板の方が良いですね。

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    2007年4月14日(土) - 棚1つでどれだけ語れるか - 

    キシレン密閉の甲斐あってノドの調子が戻りました!

    …多分関係ないと思うけどな。

    らくがき塗料箱ブースの展示はよろしくないと某御方からクレームを頂いたので、次回WHFから考え直す事にする。

    ご存じの通り、複数原型師体制の頃はひな壇とか作って何体も展示していたのだけど。ソロ活動になってからは展示出来るネタも少ない事もあって、机の上に直に置いたわけだが。完成品も3体並べられるようになると、さすがに見栄えが悪いかなと前回のワンフェスで思ったのは確かなんだよね。というか、私のフィギュアの造形は上から見るとあまり美人ではないため、低い位置の展示は実はあまり良くないのだ。

    というわけで、高い位置に展示する方法を考える。押し入れ収納用の棚とかは結構安くて良さそうだったが、買ってみたら結構構造上グラグラしてるし、中途半端に大きすぎた。

    何か適当なのはないかと思って東急ハンズへ。いろんな材料を見て回っているといろいろアイデアが浮かんでくる。だからハンズは好きだ。ここはアイデアの倉庫だね。

    で、出来たのがこれ。木目調にしてみました。

    ほとんどの人がフィギュアの展示には布をバックに垂らしていると思うのだけど、私はどうもこの方法は好きではない。というのは、フィギュアを引き立たせようとするとどうしても黒などの濃い色のバックにしようと言う心理が働く。しかしバックが黒いと背景とフィギュアとのコントラストが強すぎて、安いデジカメでは上手く撮れないという事態が発生する。さらに卓上からの光の照り返しもなくなるため、光量も足りなくなり手ブレも起きるし、それを補うためのストロボは立体感を損なう。

    だから出来るだけ明るい色の背景が良い。最も良いのは白なんだけど、これがまた曲者でね。白い背景のフィギュアを、安いデジカメで撮ると、カメラが明るいと判断して露出を暗くしてしまう。こう言うときはユーザーが露出を明るく補正してやれば良いんだけど、それが分かる人は少数でしょう。それに真っ白の背景というのも何か味気ない。

    だから、明るいけどちょっとだけ色が付いているのがベスト。けどこれもまた曲者でね。白に近い色が多くを占めると、デジカメはそれが白なのだろうと判断し、ホワイトバランスを勘違いする。もちろん、ホワイトバランスをマニュアルで設定すればよいのだけど、それが分かる人は少数でしょう。

    だから一番理想的なのは明るめのグレーという事になる。でも、これはあまりにも味気なさ過ぎる。コンクリートの背景にヒロインを持ってきても冷徹な感じにしかならないような気がするし。さらにいろいろ考えた。結果、明るい色だが微妙に模様なり柄のある背景がよいと判断。いろんな模様の布や紙を見て回った結果、最終結論は「木目調」となった。暖かみがある背景かつ明るめ。自然界にある色なのでカメラも間違えないだろう…と勝手に期待。

    これ〔http://www.magnix.co.jp/pdt_interiorinfo.htm〕を使って棚を作ってみた。背景にも木目調を入れたかったので、本物の木の板を使うとか色々考えたけど、結果としてはスチレンボードにこれ〔http://www.eco-wood.co.jp/3-1kojin-hagaki.html〕を貼って作成することにした。これは本物の木を使ったシートなのでかなりの質感があるし、表面がざらざらなのでテカリが無くて背景が落ち着く。

    スチレンボードは



    こんな風にして固定してみた。プラ板加工はドリルにリューター、Pカッター。プラ板の曲げは半田コテの熱。六畳一間に住んでいながらこういう工作をする道具と材料が揃ってる自分に笑いながら即完了。しかしちょっと強度が足らないかも。ちょっと補強を入れるとか改善を試みてみますかね。

    あと、光の入射がイマイチな場所に配置されたときの事を考えて、レフ板とかが固定出来るようにしたな工夫をしたいと思う。こだわるよ。

    写真撮影に配慮しても売上につながらないのではないかと思うかも知れないが、まぁこの辺はフィギュア写真家としての意地とでもいうのかな。でもね、実際会場で見たフィギュアなんてしばらくしたら忘れてしまうのよ。それよりも写真を撮って帰って貰った方が、あとからじっくり見て貰えるし、サイトにアップして貰えればより多くの人に存在を知らしめる事となる。そうすれば次の売上にもつながるんじゃないかな。

    その時、綺麗に撮れた写真の方が掲載したくなるだろうし、良いフィギュアでも写真が上手く撮れなかったら載せないだろう。作りもしないキットを買って行かれるよりも、良いフィギュアに出会えたという思い出を忘れないように持って帰って貰う方が、私としては嬉しい。フィギュアの写真を撮ると言う事も立派なフィギュア趣味だと最近思うしね。

    あと、棚の高さ。立って見たときにフィギュアと目の高さが合う所がベストなんだろう。現状、ちょっと低いかもと思っているのだけど、これは人によって身長が違うからねぇ。女性も来る事を考えると、チョイ低めにしておく必要はあるかもね。背の低めの人だと155cmくらいかな。だとすると目線の高さが140cmくらいで…ワンフェスの机は高さ70cmで…私のフィギュアの頭の高さは17cmくらいだから…。棚の高さは53cmという事に。

    だんだん、「どうでもいいじゃん」という声が聞こえてきそうだ。

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    > テレビのニュース番組の特集で、花粉と黄砂が重なってくると花粉だけの時よりも症状が酷くなるそうですよ。

    黄砂と聞いて工藤静香しか想像できない私はもうオッサンですかね。

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    > しかも花粉と黄砂のダブル攻撃で、普段花粉症でない人も花粉症と同じ症状が出たりするらしいです。

    春先になると鼻に来るのはこのせいか。でも今回の症状は鼻じゃなくてのどなので多分風邪だってばよ。

    [日記拍手]
    > うち、複製作業中はGをほとんど見かけないっすよ。ほったらかしのレジン缶から常時微量のキシレンガスが流出してるのか、ここ1年ほどGが出ない…

    つーかあんさん複製作業中以外はGが常に出ているのか。とりあえずホウ酸でも置いとこうぜ。

    [日記拍手]
    > 防虫効果とかネゴト言う前に http://www.jpca.or.jp/61msds/j7cb14.htm

    有機溶剤が危険な事など百も承知じゃい。しかし

     使 わ な け れ ば 生 き て い け な い

    のだから仕方ないだろう。(ツッコミは無しな)

    ところでノンキシレンのキャストって性能どうなのかな。使った事ある人いる?

    [日記拍手]
    > 金が有る奴はトワイライトや北斗星やカシオペアのスイート乗ったりするわけですよ。…鉄道の特性は輸送力にありますからねぇ。九州特急衰退の理由はスピードの遅さと陳腐化した設備にあるわけで…。

    金持ちはそういうウンチクは語らないのだよ。

    乗る金がないから、時刻表眺めたり写真撮ったり作り物の模型を買ったりするワケじゃないか!

    女が出来ないから、○○眺めたり○○撮ったり、作り物のフィギ(削除

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    2007年4月13日(金) - 大らかにな - 

    やぁ、R田中一郎君だよ。

    …鉄ヲタドラマ「特急田中3号」が始まりましたね!

    しかも結構面白かったな。その機関車のプリントされたパンツはどこで売ってるんだか。

    ドラマの中で、お金持ちのお坊ちゃんなのに鉄ヲタってのがいたけど、普通そう言うのはいないんじゃないかな。お金持ちは車で移動する事が多いからねぇ。基本的に貧乏人の交通手段だからね、鉄道は。まぁ、天皇陛下も電車に乗るけども。

    私も学生の時は、結構鉄道を利用して遠距離を移動した。名古屋から北海道まで青春18切符で移動した事もあったよ。でもそれは単にお金がなかったからと言う理由だったもんねぇ。鉄ヲタにはそういう卑しさみたいな雰囲気があるからイヤだ。

    まぁどのオタクもそう言うところあるよな。フィギュア好きも然り。ワンフェスを隅々までくまなく調査しようなんて動きも、考えようによってはそういう「器の小ささ」から出てくる発想なのかも知れないなぁ。

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    > 密閉することで黄変したりとか、何か毒ガス的な作用はないのでしょうか?

    自ら出した気体だからそれで変色する事はあり得ないと思うけどね。塗料だって瓶に入って密閉しているわけだから。…この容器見て思ったけど、レジンキットをタンスの中に入れたら防虫効果ないのなか。あるわけないか。

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    2007年4月12日(木) - おとなしくしてろ - 

    室内にキシレンを放つ物体を完全密閉!これで安心だね!

    …症状、のどの痛みからくしゃみ鼻水へ。

    どうやらタダの風邪っぽい。

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    2007年4月11日(水) - 長鎖アルキル変性! - 

    「メタボリックシンドローム」を略して「メタボ」。

    …「ダメポ」に見えて仕方ない。

    まぁどちらもダメっぽくていいけど。

    さっさと中華さんの複製も100体くらい抜ききってしまえと言う感じで複製材料を仕入れてきました。思い立ったらいつでも出来るようにね。

    離型剤が切れそうなので買い足した。私がいつも使うのは信越シリコーンのKF412SPだけど。たいてい店頭にはこれの横に姉妹品のKF96SPが置いてある。前にも書いたけど、複製は失敗すると被害が大きいので使い慣れた材料以外の物に手を出すのがとても消極的だったりするのだが、こっちは何が違うんだろうね。

    KF96SPは一般用、KF412SPはペインタブル用とあるし、後に塗装をする事が前提のレジンキットにはペインタブル用だろ?と思うのだけど、ボークスなんかではKF96SPだけを売ってるから、これが使えないと言うわけでもない。KF412SPだってペインタブルといいつつ、塗装前に洗浄は必要なわけだし、じゃ実際何が違うんだか。

    調べた結果、KF412SPは長鎖アルキル変性である事が分かりました!
    http://www.silicone.jp/j/products/oil/search/deg12.shtml

    …ごめんやっぱ意味ワカラン。

    ところでここしばらく続いているのどの乾燥感は、部屋のキシレン臭のせいではないかと疑い始めた。キシレンってハウスシックの原因になってるらしいね。

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    > http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%9F  これですねー。まじまじと見るとこんなグロイもんだとは思わなかったわ。5mmくらいのなら見た事はあるんですが銀色ではなかったしなぁ。

    ある意味グロ画像だからあえてリンクしなかったのに…。ああ、キモチワルイ…。(ブルブル)

    5mmかー。ウチは1cmくらいのがでますけどねぇ。

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    > キ○ヤシ「おれは今この写真を見て恐ろしい仮説を思いついたんだ」

    キバヤシ「2007年にワンフェスは消滅する!」(どーん)

    [日記拍手]
    > 「やっぱいいわー」…って、それじゃキムタクやんw

    カメラ趣味の間ではすでに流行語です。「やっぱいいわー」。根拠無く物を褒める時に使えるので便利です!

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    2007年4月10日(火) - あゆばブレない(人生が) - 

    ブレるのは 人生だけで 十分です。http://panasonic.jp/dc/kimimaro_zoom/04.html

    …あゆの人生はブレないけどな。

    Panasonicはあゆからきみまろへ。中高年への市場を開拓しようという心意気素晴らしい。きみまろがPanasonicの一眼レフを持って「やっぱいいわー」とか言い出す未来がかいま見えた。

    しかしこの「ブレるのは人生だけで十分」というフレーズはかなり私のツボですよ。人生のブレについて実感できるようになって来てる自分がちょっとイヤだったりもするけど。

    頭部製作。昨日は最初の球を練っただけから、実質1日目。まだどういう顔にするか方針が決まらないまま作ったのでなんだか思いつきの顔つきに。多分完成までに何度も変更するんだろうね。フィギュアの作風までブレ始めてるな。

    でもやっぱフィギュアいじってるときが一番落ち着くね。アキバから離れてもこれだけはやっていないと気が済まないな。

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    > シミって何? 関西圏にしか生息しない生物ですか? 蟲師は知ってるけどたまにいわたさんのネタは分かりにくいです

    紙魚(しみ)。古い本とか探っていると出てくることない?見た事がないっていうのは幸せな事ですよ。初めて遭遇すると、ちょいとビックリします。私は知識として先に知ってたので、初めて見たときは「これが噂の!」と思いましたよ。確か小学校でだったかな。

    「シミ」でググると3番目くらいに出てきますよ。でも虫嫌いなら見ない方が良いかも。

    確かに紙魚はゴキブリやダニに比べるとマイナーなので知らない人も多いのかも。蟲師では「筆の海」という話で、紙魚が紙を食ったために封が解けるという話があったのだけど、あの話、紙魚と聞いても分からなかった人も多いかも知れませんね。あれは蟲ではなく、虫なのですよ。

    まぁ私のネタが分かりにくいのは知識が偏ってるからだろうなぁ。

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    2007年4月9日(月) - 蟲ですな - 

    ここ数日のウチにシミを2匹ハッケン。

    …春の虫と書いて「蠢く」。

    殺虫剤常備なので即殺したが。もはや発生は避けられないのだろうか?本や段ボールを長期間動かさずにいると湧いてくると言う事だが、6畳一間で生活していれば避けられないではないか。週1回は床に掃除機かけてるが、書籍の関係は動かしようがないしねぇ。

    しかしシミという生き物は人に危害を加えるものではないらしく単に「不快害虫」とされている生き物。フリスクを食べてちょっと頭をひねってみたらどうだろう。

    …シミを飼っていると言う事で。

    たま「あのシミはお嬢さんの愛玩動物なのだよ。」
    淡幽「ははは、あれは愛嬌があってよい」

    ごめん、やっぱ飼いたくねぇ。(蟲師のネタ)

    やはりそろそろバルサンかね。

    関係ないけどここ数日のどが痛いっす。鼻とつながるあたりが。声に影響はないので辛くはないけど、常にあめ玉とか舐めてないと行けないような状態。これも風邪の一種なのかなぁ。

    今日から製作にかかる事にする。ニューファンドって欲しいときに売ってなかったりするから、ずーっと前に買っておいたんだけど。今開封したのにすでにあの新品特有のモチモチ間が無くなってた。やっぱり封を切らなくても徐々に水分は抜けて行っているみたいだねぇ。ま、これで作品の出来に影響が出るワケじゃないから良いんだけど、今回のファンドは最後まで使い切れる自信がないな。

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    2007年4月8日(日) - 沼は続くよどこまでも - 

    また友人達と撮影に出かけてました。

    …路上で見つけた逸品。→

    お面を顔に被せるように動くという手作りおもちゃです。なんかツッコミどころがあるが…。

    今回は関空で飛行機撮り。それと山中渓っていう桜並木のそばに電車が通っている駅周辺で撮影。でもなんか晴れ渡ってないので光がイマイチね。

    しかし飛行機なんて撮ると、レンズの周辺減光が気になる気になる…。300mmクラスのレンズは親父の形見の安ズームレンズしか持ってなかったのだが。これまでこれで大きな不満もなかったんだけど、F10くらいまで絞らないと均一な明るさが得られないという事が分かってきて、このレンズダメだーって印象が…。っても望遠の良いレンズは高いッスよね。

    あとPENTAXの35mmF2を借りたんだけど、これが噂には聞いていたが凄い写り。40mmを持ってるからこれはいらないと思っていたのだけど、これは…。40mm売っぱらってこれ買った方が良いかもとか思わせるほど。き、危険だ…。



    ウホッ!イイ写り。昼はお寿司。

    夜は焼き肉食べた。結構贅沢な1日だったな。

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    2007年4月7日(土) - 修行が足らんけど、いらん - 

    歯医者行って。何となく買い物して。昼寝。

    …雨だしイマイチな休日。

    予定もないので新作フィギュアの下絵を仕上げようと、ペン入れとかし始めたんですが。どうしてもいい絵にならなくて結局挫折。これをアップして今日の日記としたかったんだけどねぇ。

    毎回思うけど、イラストは難しい。今となってはフィギュア作るよりも自分のイメージが投影しにくいのでイライラします。手とか本当に難しいよね。立体なら1時間くらいで形になるんだけど。ちょっと角度変えようかなとか思っても、立体ならニッパーで腕をちょん切って再びくっつければ終わりなのに、イラストだと描き直し。マンドクセー。

    私は絵は苦手ではないのだが、マンガ調の線画イラストだけは、今まで1度だって納得出来る絵に仕上がった事がない。やっぱ人間、向き不向きってのがあるんですかね?

    やめたやめた。線画なんて描かない。このままフィギュア作り始めます。けど、最終的にはパッケージに載せる絵は描かないとなぁ。

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    > フィギアの顔がデジカメに認識されるかという実験をされた方がいますよ。>http://shinpei.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_5fca.html

    認識しないみたいだね。ある意味正確ジャン。フィギュアは人間じゃないんだから。ま、リアル系フィギュアだったら認識するような気もするけどねぇ。

    顔認識がどういうアルゴリズムなのかは知らないけど。ピントを合わせを行っている以上、カメラは被写体までの距離を知る事が出来ている。そうするとそれが人間の顔として適当な大きさかって所からも判断出来るはずなんだが、そう言う計算はしてないのかな。そういう計算をしていたら、小さい人形を人間として認識する事は無いのかもね。

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    > フィギュア系係長?

    今のご時世、アキバ系係長はいそうだがな。

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    2007年4月6日(金) - 春眠 - 

    Voigtländer の読み方(カメラのブランド名な)

    …北斗連打

    今自分の仕事が少ない事は上司にバレバレだと言う事が分かったので、心おきなく早く帰れます。しかし自分の仕事が減ってきているというのは、飛ばされる前兆だったりしてな。

    でも眠いのでレスだけで堕ちる。

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    > 家の方も桜が見ごろで綺麗です。(桜を見ながらケロちゃんになりたいと思いました)

    男の憧れ=魔法少女の小動物

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    > 三十路になって親戚集まったら、言われることはただひとつ…その話の降り方は自滅行為です。

    まぁ親戚ってやつは言うだけで何もしないんだけどね。所詮は他人やし。

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    > フィギュア係長の前に、フィギュア婚しなくてはいけませんね…。

    んじゃ募集中と言う事でひとつヨロシク。

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    > デジタルって心霊写真は写らないんですか!初めて知りました!

    心霊写真(に見えるもの)がどういう仕組みで写るのかは、いろいろ説はありますがね。例え写ったとしてもデジタルだと全然恐い感じがしないでしょ。人の感覚ってそんなものじゃない?アナログ機器が変な動きをすれば少し恐いけど、パソコンが誤動作してたも霊のせいだとは誰も考えない。結局心霊写真なんて見る人がどう受け取るかってだけの事。無意味な模様が人の顔に見えるってはゲシュタルト心理学で…ってあ!

    最近のデジカメの顔検索システムってあるじゃない?あれで、人が写ってない所にデジカメがそこに顔があるって判断して表示されるとちょっと恐い気もする。霊魂がここに自分が居るって主張しているような感じがして。

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    > >デジタルじゃ心霊写真も写りませんて。 それこそ攻殻っぽく電脳ならではの物が記録情報に映る…というか書き換わるとか

    心霊写真というものは一種のコンピューターウイルス見たいなものと言う事になるんですかね。で、デバッガーがやって来て、「これは蟲ですな。」

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    > >…キシレン臭い部屋に。  ギレン臭い部屋に。に見えた

    入ったとたん、「ギレン臭っ!」って思える部屋ってどんなのだ。ジオンの国旗とか貼っとくかな。

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    2007年4月5日(木) - 写真キャプターさくら - 

    ちゅうわけで葬儀を終わらし帰ってきましたよ。

    …キシレン臭い部屋に。

    抜いてすぐに袋詰めしてしまうとキシレン臭を徐々に放出する事になるのではないかと思った。

    葬儀の前に少し時間があったのでまた桜を撮りにふらふらしてた。こんな時間にいい年こいた人が写真に興じている姿はあまり通行人に見られたくない感じではありますけども。それにしても良い天気+満開の桜。今年は休日晴れてくれる事が少なくて、桜は撮れないかと思っていたけど、思わぬ収穫だった。故人に感謝だな。

    5Dと50mmだけしか持ってこなかったのが悔やまれる。こんなに好条件ならフィルム一眼も持ってこれば良かったなー。

    最近は休日も友人と写真撮りに出かける事を母に告げたら、フィギュアから趣味が離れたと思ったのか良い傾向ととらえたようだ。…ま、被写体の9割はフィギュアだって事は言わなかったが。

    そんなわけで葬式続きのいわた親族。「不幸が続きますなぁ…。」と話題を振ってみたところ、「そろそろおめでたい話しが欲しいんだけど。」と返されたので、僕は目をそらした。

    桜の写真は例のアルバムページにアップしておいたので適当に見て下されば幸いです。

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    > 綺麗な桜ですね。いわたさん写真よく撮りますけども、心霊写真撮ったことありますか?

    デジタルじゃ心霊写真も写りませんて。

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    2007年4月4日(水) - いろんなもの、散る - 

    というわけで、実家。

    …午前中は仕事してたんだけど、なぜか朝からプリキュア5のOPテーマが頭から離れない。この後通夜なのに。

    今回おつとめをして頂いた寺院殿は、尼さんだった。尼さんというと瀬戸内寂聴さんのようなのを想像するかもしれないけど、基本的に頭を剃らない流派なのでわりと普通の女性に見えるところがなんかカッコイイと思った。

    まぁ特に語ることも無く。実家のそばの桜並木が綺麗だったので通夜の後、撮影しときました。こんなときでもカメラは持ってくる。綺麗なものは撮らずにいられない。

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    2007年4月3日(火) - 次は誰だ - 

    伯母が昇天されたらしいです。

    …1年経たないウチに葬式4回目。

    なんかモウ…マンドクサくなってきた。ちゅうわけで実家帰りますよ。明日。

    ところで、携帯って便利ですよね。というのは、ウチの親は携帯を最近解約してしまったので、こう言うときに「家にいないから連絡取れない」という事になる。

    「家族なのに家にいないと連絡が取れない」なんか不思議な気がする。感覚は時と共に激しく変わるものですな。攻殻機動隊みたいな未来もそんなに遠くない気がしてきた。

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    > 間違った使い方をされて性能を出せてない機器…「お前も早く女の子を作れ」といわれてフィギュアを作ってくる人間とか

    フム。機器とな。女性は子を産む何とかって言った人もいましたね。

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    > いわたさん、フィギュア原型のプロとアマの違いって何なんでしょうか?

    私はプロじゃないのでその質問に的確な回答は出来ないと思いますが。

    この業界ほどプロとアマの境目が曖昧な物もないでしょう。プロにしか使えない高価な機器、大きな機器。プロにしか使えない膨大な時間。そう言うものが無いでしょ。更に勝負する舞台はプロもアマも同じです。

    プロは実力がそのまま死活問題となるワケだから、それだけ自分を厳しい環境に置いている事になります。アマチュアにはそれがないワケですが、それが良い方に働くか、悪い方に働くかはその人次第だと言えるのでは。

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    2007年4月2日(月) - つなぐ君 - 

    「昨日は楽しかったなぁ。今日からまた仕事だと思うと憂鬱だね!」

    …と、昨日プリキュア5の幹部が言ってましたね。

    そんな、ときめきの男子寮に住む私ですが(どこから話しが続いているのか…)。デジタルウォークマン買ったんだけど曲の取り込み方がわかんねぇと何の前触れもなく言われて他人の部屋に上がり込んだわけですよ。

    でまぁそのウォークマンの事はどうでも良かったんだけど。部屋からつり下げられているスピーカの片側だけコードが外れていた。聞いたらわざと外してあるとの事。

    このコンポのシステムはスピーカー2つとウーファー1つの3つから成っているんだけど。なんかウーファーの音が小さすぎて全然低音が聞こえないので、スピーカーの片側を外す事でバランスが良くなるからそうしているらしい。この製品はアンプとかプレイヤーとかスピーカーとかがセットで売られている物で、各スピーカーの個別音量調節が出来ないんだそうな。

    スピーカー片側外したらモノラルじゃん!ってツッコミ入れたら「別に気になりませんよ?」とのこと。ここで「あっそう」って帰れる人とそうでない人がいると思うけど、私は後者だね。今、目の前で間違った使用方法をされているシステムを見て黙っていられるか!調べさせろ!

    原因は実に簡単で、ウーファーの繋ぎ方が間違っていただけ。繋ぎ変えたらいい音が鳴ったよ。「えー!めっちゃいい音じゃないですか」そりゃそうだろうよ。15万もするオーディオセットならこれくらいの音でなきゃおかしい。「6年間これで聞いてたのに…。」

    説明書は読もうな。世の中にはこういう、間違った使い方をされて性能を出せてない機器がいっぱいあるのかと思うと悲しいですな。

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    2007年4月1日(日) - 抜きまくり休日 - 

    今日は1日中複製してました。

    …疲れたので寝ます。

    と書きたいところだが、何か書いとくか。

    私はボークスのキャストをずっと使い続けている事は何回か書いてると思う。特にこだわってるワケじゃなくて、ただ単に一番入手しやすくてしかも安いという理由で使ってる。でも基本的に良い性能ですよ。湿気を吸って気泡が出まくると言う事は全然起こらないから、雨の日でも使える。1度開封したヤツを1ヶ月後に使っても問題なかったという経験もあるし。ただ、色はホワイトしかないので、A液とB液を間違えないように注意かな。ま、慣れると表面張力の違いでA液とB液が見分けられるようになるけども。

    ボークスのキャストは夏は180秒硬化タイプ、冬は120秒硬化タイプしか売ってない。今店頭に置いてあるのは冬フェス用の売れ残りだから120秒になる。120秒は固まるのが速い分、効率が良いけど、過去120秒タイプを使っときに限って型を壊された事が多く、自分の中ではあまり使いたくなかったりする。

    固まったキャストを型から抜くときは、ある程度キャストに弾力が残っているウチに抜くのがポイント。完全硬化してしまうと、抜くときに型にそれだけ負荷をかける事になるから。120秒タイプだと、この抜くのに適した状態になってる時間が短いので、タイミングを逃すと型を壊す事になる…ってワケ。

    だから180秒の方が好みなんだけど、無い物は仕方ないから120秒を使うしかない。要は柔らかいウチに抜けばいいんだ。冬用キャストだから室温は低めで、20度。この状態だとキャストを流し込んで15分後が抜くのに良い固さのようだ。今回はぼんやりしてて抜き時を逃さないようにタイマーを使って確実に15分後に抜くように心がけた。おかげで型を痛めずに済んだみたい。

    最近はありがたい事に1型で50ショット以上抜く事が多いので、1回の複製でシリコンにかかる負荷を減らす事がとても重要だったりする…。ところで、手流しで何十個とか抜いてる人ってどれくらい居るのかな?ここまでいろいろ考えてるのってもしかしたら自分だけかとちょっぴり不安になる。

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    > ジーパン刑事>新たに配属された職場で「フィギュア」とあだ名を付けられるって、どんなイジメですか。

    かわろう!のあとがきで書いてた事もあって、実際入社してしばらくそんな感じで呼ばれてた事もあったんですがね。

    [日記拍手]
    > カワイイ男子…男子寮って、ひょっとしてやっぱりそういう所なんでしょうか

    腐女子さんの妄想が膨らみそうでいいよね。ちなみに女ッ気がないので綺麗どころが女装をして…って事はありません。人の部屋で一緒に酒飲んでたら、翌朝何故か同じ布団の中にいたって事はあったが。

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