モデラーに足りないもの


お疲れ様でした
お買いあげありがとございます。

ジェットジェットジェットマン〜

 今回の結果 (売上数/生産数)

 湯浅皐月9/20
 麻生華澄16/19
 神尾観鈴1/10
 沢渡真琴0/0

 実質新作は皐月の1体のみ。 この皐月ってキャラ自体、まだフィギュアがあまり出ていない事もあり、おそらくはキャラ萌えの方は定番の制服の方を買おうと動くのが普通だから、結構不利な条件だったんじゃないかなぁ。

 ところが、気になる事が。 皐月も華澄も「これ下さい」って言った人が多かったってこと。 これはおそらくキャラ名を読めないからで、それは原作をやってない人たちが結構買っていっているってこと。 これは原型師にとっては嬉しいことだと思う...のですが、どうでしょう。

 私の観鈴は1体売れたぞ! やった。 とりあえず出展した意味を果たすことが出来た。 大庭詠美のED的嬉しさがあったぞ。

 真琴は1体も売れず...って最初っから売ってないが。


モデラーって生き物は

 今回書くことあんまり無いんだよなぁ。 だって新作作ってないから、この半年間の結果が今回出てきたわけでもないからね。 まぁ、そんな事もあって、最近イマイチ自分の中で盛り上がっていないワンフェスだが、それはあくまで自分の中で、の事。 実際には十分盛り上がっているんだろうと思う。 ただ、それはおそらく昔のワンフェスの盛り上がり方とは違うため、何かが違うような気がするんじゃないかな。

 らくがき塗料箱では毎回昼に掲示板に書き込んでくれる常連さん達が集まる事が恒例になっているワケだが、そのとき、自己紹介と共に自分の最近の萌えキャラを発表する事になっている。 まぁ、最初はギャグで始まったこの恒例儀式だが、今考えると、これが昔のワンフェスに対する姿勢そのものだったのではないかと思えてくる。

 誰もが、ここ最近萌えの入ったキャラというのがある物だった。 ワンフェスでは、そのキャラのフィギュアを真っ先にチェックするものだった。 ガイドブックから少ない情報を吸収し、そのキャラを作っていると思われるディーラーさんを最速で回れるルートを作成し、入場と共に一気に巡回。 その中で最も良いと思うフィギュアを購入するのだ。

 ところが、最近は違う。 キャラももちろん大事だが、自分好みの造形のフィギュアに出会うことを目的にして巡回しているように思える。

 ディーラー側としての姿勢にも同じ事が言えて、かつてのフィギュア作りは、キャラへの愛がまずあって、その勢いが立体物を作り出すという姿勢だった。 ところが、最近はフィギュアを作りたいという欲求がまず先にあって、それから自分の知る限りで良さげなキャラを選択して作るような雰囲気がある。 キャラへの愛ではなく、造形への愛がフィギュアを作らせている。 そんな気がするんだ。

 その昔、フィギュア≒ダッチワイフと言ったイメージが強かったせいか、フィギュアはオタクの究極のアイテムという位置づけが強かった。私も社会人になった時、周辺の人にフィギュアの事を話したら、大半の人にそういう変態的イメージを言われたものだ。

 しかし、今は違う。 フィギュアという文化は1つの趣味としてきちんと確立しつつあるのだ。 近年のフィギュアブームは、食玩やガシャポンによる、コレクションする事のブームであるが、我々ガレージキットの分野も少しではあるが認知されてきている。 つまりフィギュアはキャラクターグッズという位置づけから、創造的造形物という位置づけへ変わってきているのだ。 だから、フィギュアは版権物である必要性は全くない。 全部オリジナル創作であっても、フィギュアの魅力はなくならないと思う。

 しかしそうはならない理由がある。 フィギュア原型師は、モデラーであってアーティストではないのだ。 よって自分でキャラを創作する能力に乏しい。 まず設定があって、それを如何にそれっぽく仕上げるかといことに執着する。 もちろん自分の作風へのアレンジなどはあり得るが、まず基本となるキャラ設定を与えて貰わないと創作のスタートが切れないというのが、フィギュア原型師の大半だろう。

 同人誌の世界にも同じ事が言えるが、それでも同人誌ではオリジナル創作をしている人は結構いる。 ま、フィギュアに比べればの話だが。 そして最近、同人誌のオリジナル創作キャラをフィギュアにしている作品をよく見かける。 これは商業キャラに頼らなくてもフィギュアは作れるという証明で、非常に私の好きな傾向なのだが、それでもキャラ自体は誰かに設定して貰わないと作れないと言うのはまさにモデラー。

 知らないキャラでもイイから、フィギュアって言うのは「何かのキャラ」であって欲しいというモデラー遺伝子がそうさせるのだろうか。 それとも「萌え」は感じるものであって、自分で考えるものではないからだろうか。 なんにしろ、フィギュアが造形という1つの趣味として確立するためには、「製作する物」を創造するセンスだけが、足らないと思う。

 キラーアイテム不在という現象は、価値観が多用した現代の情勢を表している気もするが、フィギュアという文化の位置づけの変化でもあると、私は思う。


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