3連続で人形イベントをハシゴした。
まずは横浜。 適当に列に並びつつ入場。 大盛況に思いきや、一部に人が集中しているだけのような気がした。 規模は以前と変わらない感じ。
ディスガイアのキャラ。 続けて作っておられるようで。 原田たけひとさんのキャラが造形世界に新風を巻き起こしているような気がするな。
商品名控えるの忘れた...。
「げんしけん」の何からしい。 |
1時間ほどで撤退。
電車に揺られて40分。 浜松町に到着。 入場。 …5分で終了。
どちらも同人誌のキャラらしい。
そう言う系統もOKなのか。
ウチのセーラーさん出しても良かったかも。
やはり同人誌作家さんの作ったキャラクターは魅力的だ。
モデラーは手先器用人であるが、創作力は実は乏しい人種なのではないかと、再認識させられてしまう。
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EXPRESSIONやクリカニに対して何か違ったコンセプトが打ち出せているのかというと、そうでもない感じがするかな。 オリジナルフィギュアに限定するのは、版権物許したときに起こる問題点から目を背けているだけのようにも感じる。 オリジナルフィギュアは当然他のイベントでも問題なく売れる。 このイベントの存在価値をしっかりと定めなければ、参加する意義が見えてこないと思うんですが。
フィギュアという物をガレキの制約から解き放つような新しい形態のイベントを、誰か立ち上げてくれないかな。
本日の本命。 コレのために来た。 場所は都立現代博物館。 映画「イノセンス」との連動企画である。 写真撮影は禁止のため、ここからは文字のみ。
我々フィギュア系の人間にとって、球体関節人形というと、ボークスのスーパードルフィーが最も身近な存在である。 元々ああいうのは西洋の伝統的な人形として昔から存在していたわけだが、今回の展示はそういう系統そのものではない。
紐をほどくと手足がバラバラになってしまうその形態をシュールレアリズムの象徴としてとらえる考え方があって、それは「人」というものを部品の集まりとして見た場合、生命とは何と定義出来るのか?みたいなカンジの表現だっり、関節はあっても筋肉の存在しない人形は死体そのもののように思えるという表現だったり、人間のようにリアルであるが、表情に生気がない人形だったり...そんな感じの展示なのだ。 小さい頃、日本人形を見て「恐い」と思ったことがあるなら、多分それがこの感覚に近いんじゃないかな。
特に思ったのは、我々フィギュア系の人形というのは如何に人間らしいか、生き生きとしているかと言う事を目標に人形を作っている。 しかしこれらの作品は、どれも人間らしいと言うより、血が通っていない感じ、つまりあくまでそこにあるのは人の形をした「物」なんだという前提が存在する。 時間が止まっているかのような感覚を受けるもの多い。 同じ人形という分野にありながら、表現の方向が真っ向から違う。 そのことは非常に興味深いと思った。
しかしこの手の表現方法をフィギュアに取り入れられないのかというとそうではないと思う。 ただ、それを受け止める器(買い手)がないだけの話だろう。